A Confession of a ROCK DRUMMER

KenKenという太鼓叩きの独り言。

【好きなアルバムについて語る】FIVE NEW OLD - Too Much Is Never Enough

 

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2018年リリース、日本は兵庫県神戸市出身のロックバンドFIVE NEW OLDの通算2枚目、メジャー1枚目のフルアルバム。結成8年目にして満を持してのメジャーでのアルバムリリースとなった。しかもレーベルはToy's Factory。当時は結構驚いた記憶がある。だがToy's在籍中も、かつて所属していたTWILIGHT RECORDSは何かしらで引き続き関わっているのか、色んなところでクレジットされている。現在はWarner Music系にレーベル・マネジメント共に移籍したようだけど、えっ何今度HIROSHIくんドラマ出んの、えっ?そっち方面攻める感じ?おやまぁどうなる事やら。

 

今でこそオシャレなアーバンポップサウンドを鳴らしているけれども、元々は前述の通りTWILIGHT RECORDS所属であり、初期はそれはもう爽快なポップパンクを鳴らすバンドだったFIVE NEW OLD。特にHIROSHI氏(Vo.)の英語発音が非常にネイティヴであるという点から、音楽の完成度も含めて外タレ度数の高いバンドとして注目されていた。逆に言えば当時のこの界隈のバンド、みんな英語歌詞で歌うくせに殆どが英語ヘタクソだった、という事なのかな、今思うと…。まぁそういう事指摘するの殆どが洋楽リスナー(しかも邦画ディスりがちな奴等)ばっかりだし、あんま気にしてもしょうがないけどね、だってハイスタがあのカタカナ英語でOKなんだもん。

…話が逸れた。ちなみに私の知り合いでもSuchmos以降のシティポップリバイバルの流れで「Ghost In My Place」を聴いて彼等を知った人は多かったが、そういう人達の大半が、そこから過去の曲を掘り下げた途端戸惑っていた。まぁでも、昔と今とでサウンドが全然違うなんてのはパンク・ラウド系バンドにおいては別に珍しい話ではない。あのワンオクだって初期と今じゃ全く別バンドだし。

 

バンド結成は2010年。ONE OK ROCKが「完全感覚Dreamer」をリリースしたのが実はこの年。以降FACTを筆頭にFear, and Loathing in Las Vegasやcoldrain、SiMやHEY-SMITHCrossfaithらが続き、ラウドロックやパンク・ハードコアシーンにスポットライトが当たるようになり、有力バンドの多くがメジャーへ進出、その下でもインディーズレーベルが乱立、数多くのバンドを青田買いの如くデビューさせていく事となる。そんな流れがライブハウスシーンに出来ていた為か、FIVE NEW OLDも結成からそう時間を置かずにインディーズデビューを果たしており、初の全国流通盤が出たのが2012年。その頃から既に「ボーカルの英語がめちゃくちゃ上手いポップパンクバンドがいる」として話題になっていた。しかもHIROSHI氏、帰国子女でも何でもなく、完全独学で英語を身に付けたという点も関係者を驚かせていた。

だがしかし、当時のアンダーグラウンドシーンでは、従来メロコアシーンと、新興勢力としてのスクリーモメタルコアシーンが隆盛を極める中、FIVE NEW OLDのようなポップパンクバンドにはどちらにも居場所が無かった。というのも現状のシーン内に居場所を求めようにも、スクリーモなどのラウド相手では刺激も迫力も不足していたし、メロコアシーンに乗り込もうにも、あらゆる亜種すらも排斥する程保守的に凝り固まったメロコアファン相手からは強烈に拒絶されるし、それじゃあ歌モノ系と対バンしよう…としても、今度はそういったバンド達よりは激しすぎて結果相容れない、という具合だったのだ。確かにポップパンクは数としては存在していたのだが、1つのシーンを形成出来る程の勢力を持つまでには至っておらず、結果このような肩身の狭い思いを強いられていたのである。こういう「シーンの垣根」というのは、ある程度売れてしまえば全く問題にならないが、地下のシーンにおいては未だ根強く残っていた。

それじゃあ、他のシーンでも闘えるよう音楽性をマイナーチェンジさせれば良いんじゃないの?というのも考えたものの、そもそもポップパンクというジャンル、どのパラメーターも5段階中3くらいで揃っているので、他ジャンルと比較しても秀でている点も劣っている点も特段無い為、逆にどこかを伸ばすにしても補うにしても非常に難しい、要するに拡張性という点では非常に低い音楽なのである。結果的には誰にでも取っ付きやすくはあるんだろうけど、ハマりやすさも弱い。未だ日本でポップパンクが今ひとつ市民権を獲得し切れない所以はこういう所にあるのではないかと個人的には思っている。まぁそうだよね、「ポップ」と「パンク」って元はと言えば真逆のベクトルで始まってるワケだし、酸性とアルカリ性混ぜたら中性になっちゃうのと同じで、結果どちらの良さも中途半端になってしまっている感は正直あるし。…ってこんなに書くとポップパンク好きの人にボコボコにされそうだけど。

 

そんなこんなで、TWILIGHT RECORDSとの契約を掴み取り、All Time Lowなど海外バンドの前座を務めたりする機会はあったものの、シーンの居場所も飛躍のきっかけも今ひとつ掴めないFIVE NEW OLD、上に書いた事と同じ事を考えたのか現状の音楽性にも限界を感じ始め、徐々にポップパンク以外の音楽への模索を始める。そうした中で、パンク・ラウドシーンが盛り下がりを見せていた事もあって、バンドはよりコンテンポラリーな、メロディとグルーヴ感を重視した音楽性へと興味を寄せていく。この辺りの変遷は、かつてThe Jamとしてパンクから出発するも行き詰まりを感じてThe Style Council結成に走ったPaul Wellerと被る(メンバーもインタビューでThe Style Councilへ言及した事がある)し、他ジャンルを貪欲に飲み込み続けた結果パンクとは全く違う姿に変貌したFall Out BoyPanic! At The Discoのような現代のバンドとも共通している。それに元々パンクをやるにしてはちょっと優等生過ぎた感のあった彼等、最初はそういうのに憧れてTHRASHERとか着てみたけど、やっぱ似合ってないのかなぁ、結局普通にユニクロとかの方がしっくり来ちゃうんだよなぁ、みたいな事を考え始めていた頃だった。

そんな試行錯誤を分かりやすく反映した、雑多な音楽性を披露した2015年リリースの1stフルアルバム『Lisle's Neon』に収録されたシングル「Hole」にて、当時国内でシティポップ・リバイバルが起きていた事もあって、試しにそっち方面に思いっきり寄せてみた結果、これがメンバーにとっても会心の出来だったようで、以降バンドはよりスタイリッシュかつコンテンポラリーな、従来のパンキッシュさとは距離を置いた方向へと急速に舵を切る。そして『Ghost In My Place E.P.』(2016)、『Wide Awake E.P.』(2017)の2作で、The 1975をBabyfaceで割ったようなアーバンコンテンポラリーなサウンドスタイルを確立。前述のシティポップブームの後押しもあって、そのまま一気にメジャーデビューまで駆け抜けて行く事となった。

 

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かくしてポップパンクバンドから、オシャレなアーバンコンテンポラリーなバンドへと華麗な(?)転身を遂げ、念願のメジャーデビューまで果たしたFIVE NEW OLD。遂にメジャー1発目のフルアルバム『Too Much Is Never Enough』をリリースする。ここまで全部前振り。

ポップパンクからの音楽性拡張にあたって様々な音楽的要素を取り入れてきた彼等だったが、本作はそういった流れを総括しつつここでひと息入れたような仕上がり。新たな試みを取り入れる事は敢えてせず、ここまで培ったノウハウをシンプルに活かす事に専念している。

メジャーデビューに伴いシティポップバンドとして紹介され、大衆にもそのように認知されているFIVE NEW OLDだが、このアルバムの印象としては、全体をホワイトファンクをベースとしたハイファイかつオーガニックなコンテンポラリーサウンドを中心として纏め、所々に多様なタイプの楽曲をポツポツと配置するという構成となっており、所謂シティポップの王道からはかなり外れた場所に着地している。理由としてはHIROSHI氏のネイティヴな英語歌唱とより洋楽的なメロディラインだけでなく、「敢えてブラックミュージック感を脱臭させた」点が大きい。

 

シティポップという音楽は、それこそはっぴぃえんどや山下達郎もそうだったけど、海外のAORもしくはブラックミュージックへのコンプレックスというのがどうしても滲み出る。このコンプレックスは、SuchmosとかNulbarichなどの2010年代リバイバル勢のサウンドにも強烈に滲み出ており、結果的に日本人とか白人含め「アフリカ系じゃない人」がブラックミュージックを志向しようとするとどうしてもこうなってしまうらしい。まぁこれは70年代以降のブルーアイドソウルとかでも言える話であって、前述のPaul Wellerや、一時期のDavid Bowieなんかもそんな感じだった。ただ肌の色が違うだけなのに、何なんだろうね、この差って。

結果的にはそういった海外産の音楽に日本人ならではの歌謡曲風メロディと日本語歌詞という組み合わせの、決して混ざってるわけじゃないんだけどミスマッチとも言い切れない絶妙な感触が、偶発的にシティポップという名称で流行し(バブル景気やカフェ・バー文化の流行によってオシャレな音楽への需要が高まった点も後押しとなった)リバイバルを経て今では普遍的ジャンルとして定着しているわけなんだけれども、より「本物感」「黒さ」を追求していくとやっぱりちょっと物足りなさが出てくる。まぁ仕方ないんだけどねそれは。それにその「物足りなさ」が要するに「味」になったからこそジャンルとして確立されたワケだし。

FIVE NEW OLDは、コンテンポラリーサウンドに敢えて少しUK的ウェットさを加える、または敢えてブルーアイドソウルなどの「白人による黒人音楽の模倣」を模倣する事で「エセブラックミュージック感」を強烈に脱臭・希釈している。日本語歌詞を一切歌わない点も手伝って、結果的に他のシティポップバンドとは違った質感を手に入れる事にも成功した。まぁ元々照準として合わせていたのがそこでは無かったんだろうけど、周りがカラッとさせたがる所を敢えてウェットに持っていく、黒っぽくしようとする所を敢えて白っぽくする、という真逆のアプローチが功を奏した。

ちょっとアレな言い方をすると、よりモダンなサウンドを追求した結果、バンドサウンドは良くも悪くも特徴が無くなっている為、SuchmosやNulbarichのようにギター小僧が食いつくようなポイントは無くなっているけれど、同じとこ狙ったってしょうがないわけで。そもそも俺らシティポップ目指してないし、とでも言いたげな立ち振舞いには、僅かながらパンクの匂いを感じたりもする。

 

本作以降も彼等の音楽性拡張は続いていくわけなのだが、その決意表明は目立たないながらしっかりアルバムに刻まれている。

ポップパンクから遠く離れながらも新たな音楽を追求し、唯一無二の何かになろうともがく姿は、反語的にパンクそのものである、という手垢だらけの定型文で今回は締め括ってみる。