A Confession of a ROCK DRUMMER

KenKenという太鼓叩きの独り言。

【好きなアルバムについて語る】Noel Gallagher's High Flying Birds - Chasing Yesterday

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OasisのNoel Gallagher率いるバンド、Noel Gallagher's High Flying Birdsの2ndアルバム。Oasis初心者の人は、「お兄ちゃんの方」或いは「たまにしか歌わない方」などで覚えて頂ければOK。ちなみに「弟の方」「普段歌ってた方」がリアム。まぁ言わんでも分かるか。

リリースは2015年。1stアルバムが2011年なので実に4年ぶりなのだけど、本作以降かなりハイペースに作品をリリースしていくノエル、これが現時点で最長のリリースブランクになっている。まぁでも本当ならこの4年の間のどこかでAmorphous Androgynousとのコラボアルバムを出す筈だったので(後に殆どがお蔵入り)、別にこの時だけ休んでたワケではない。そう考えると実質3年か。それに普通にツアーやらフェス出演やらで世界中飛び回ってたし。

ちなみにこのNoel Gallagher's High Flying Birds、ノエルが「Peter Green's Fleetwood Macみたいな名前にしたいなぁ」と考えていた時に、Jefferson Airplaneの「High Flying Bird」という曲から取って付けた名前らしいが、「バンド」として扱うべきなのか、「ソロプロジェクト」とすべきなのか、未だによく分からない。誰か教えて下さい。

 

2009年8月に壮大な兄弟喧嘩の末Oasisを脱退、バンドの歴史に終止符を打ったノエル。その後リアム始め残されたOasisメンバー達が「Oasisよりビッグになる」という宣言と共にBeady Eyeを結成する一方で、ノエルは以前から興味を持っていたとされるソロ活動への準備を始める。元々自分1人で曲を書いて、歌詞も書いて、たまに自分自身で歌ったりしつつ、アレンジ面のイニシアティヴも全部執ってたノエル。彼に言わせれば演奏を頼む人間がOasisではなくなったというだけで、今までとやってる事を何一つ変える必要は無いし、しかもリアムという扱い辛いトラブルメーカーもいないわけで、正直ようやく好き勝手が出来る環境を手に入れた、という事なのかもしれない。

ノエルがソロやりたがってる説、みたいなのは以前からずっとあって、噂が出る度に本人或いはバンド側が否定してきたわけだけど、実際はある程度の成功が見込めるならぶっちゃけソロ、或いは完全自分中心のバンド新しく組めた方が全然楽なんだけどなぁ、と本人も心のどこかで思っていた筈である。それに、もはや1ロックバンドの域を超え、The Rolling Stonesよろしく巨大ビジネスになりつつあったOasisでは、音楽的な冒険というのもやり辛い。バンドがビッグになればなる程関わる人間の数も増えていき、当然その人達全員食いっぱぐれないようにしなくてはならない。従来と違う作風を押し出して万が一商業的に失敗などしてしまっては只事では無くなってしまう。結果確実な売上が見込める「Oasisっぽい曲」の拡大再生産をずーっと強いられる事となる。制作の自由度、そして100%自分のコントロール下にも置けないバンドメンバー達(例えOasisとは言え、純粋な演奏能力・音楽的素養という面だけ見れば正直もっと上な人はゴロゴロいる)、しかもボーカルは最悪な程にクセの強いトラブルメーカーだ、となれば、当然ながらノエルとしては窮屈になるわけで。

…っていうのが少なからずあった故の、Oasis脱退だったんだと思う。人間、堪忍袋の緒が切れる要因というのは実はそんな大きなものでは無くて、日々溜まってきた鬱憤がある瞬間に臨界点を超え、そこでプツンと切れてしまうものだ。多分そういうのが無かったら、これもいつも通りの一時の兄弟喧嘩で終わっていた筈だ。だが今回だけは、事情が違った。

 

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まぁ本人としてもこんな事で本当にOasisが解散するとは思ってなかったんだろうが、「もうこうなったら今後ソロでやるしかないよね」という状況に追い込まれたノエル。いざ動き始めてみると、思いの外準備はスムーズに進んでいく。というかむしろ、Oasis時代のストレスフルな縛りや制約など一切ない環境を図らずも手に入れる事が出来た為、今までにない程ノビノビと制作に励む事となる。確かに元Oasisって肩書きは一生残る事になるけど、ソロキャリアとしては前歴が無いわけで、好きなことやるなら今しかない、逆にここでやらなければ一生出来ないかもしれないぞ、という状況なのもあって、ノエルの脱Oasis化は急ピッチで進む。メンバーも腕利きのミュージシャンに頼もう、決してビッグネームな奴なんかいないけど、ノエルの意向を汲み取って演奏に変換する能力はOasisメンバーを遥かに凌ぐ連中だ。そんな中で曲が出揃い、レコーディングが進む中で、Oasisへの未練も気付けば完全に消え失せていた。「やべぇ、ソロめっちゃ楽しいじゃん」とでも言いたげな勢いである。

そうして出来上がったソロ1stアルバム『Noel Gallagher's High Flying Birds』(2011)は、メロディラインはノエル節全開ながら、ルーツミュージックへ大きく接近して見せるなど、Oasis色を殆ど感じさせない仕上がりであった。その後Amorphous Androgynousとコラボしてより前衛的な作風にトライするなど、ノエルは型に嵌まらないスタイルで次々と活動を繰り広げていく。同時期にリリースされた、弟リアムが元Oasisの残党達と結成したBeady Eyeの1stアルバムが、結果的にOasis劣化コピーで終わったのとは対照的だった。まぁ15年近くイギリスのヒットチャート支えてたような兄貴と、曲作った事無いわけじゃない程度の弟陣営じゃ、そりゃあクオリティに差が出るのは当たり前だわな。

 

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さて、そんな感じで弟とは違ってあっさりOasisの残像を消し去る事に成功した兄貴。本作『Chasing Yesterday』は実質3年間という、High Flying Birds史上現時点で最も長い制作期間を経てリリースされている。ちなみにその間、弟陣営Beady Eyeは2ndアルバムの失敗の後に2014年にあっさり解散してたりするけど、兄貴はそんな事全力スルーで曲作りに勤しんでいた。

以降リリーススパンがどんどん短くなっていくノエルだが、本作リリースまで何故ここまで長くなったのかは、正確な理由は分からない。制作中のインタビューやSNSへの投稿では「作ってるよ〜まだ出さないけどね」とはぐらかすようなコメントも出しつつ、2015年にようやく2ndアルバム『Chasing Yesterday』は完成、世に放たれた。

あれだけ時間を掛けていたのだから、我々の想像の斜め上に再びノエル兄貴は突き抜けていくのだろうか、なんて予想したら開けてびっくり、どういうわけか再びギターを全面に押し出した王道UKロック路線…それこそOasisを彷彿とさせるような路線へと回帰してみせた。勿論1stで見せたルーツミュージック的空気感の楽曲も、次回作以降ノエルが傾倒していくダンスミュージック的4つ打ちビートをフィーチャーした楽曲もあるのだが、失礼な話「Oasisの未発表曲集ですよ」て言われたら多分騙されてた。せっかく「元Oasis」なレッテルを剥ぎ取れたと思ったのに、なんか自分でまた貼り直してないかこの人。…ってこんな散々な風に書いたけど、「Riverman」「The Dying Of The Light」などで聴けるような控えめながら哀愁に満ちた独特のメロディラインと、少しスモーキーかつウエットな空気感だったり、或いは「Lock All The Doors」「You Know We Can't Go Back」などで聴ける軽快にギターの踊るロックサウンドだったり、メッセージ性があるんだか無いんだかイマイチ掴めない歌詞だったりは、Oasisの頃から皆のよく知る「Noel Gallagher」節全開であり、安心して聴くことが出来る。真新しさは無いが、普通に良い。そんな曲ばかりだ。

 

さて、何故敢えてOasis期の作風に回帰するようなアルバムに「Chasing Yesterday (=昨日を追いかけて)」なんてタイトルを付けて世に出したのか。正確な理由は分からないけれども、前述のAmorphous Androgynousとのコラボも一因なのではないかと予想してみる。

なんの制約も無く音楽を作れる環境を手に入れ、その環境を全力で謳歌しながら作った1stアルバムと、その勢いのまま「もっと違う事やってみよう」とThe Future Sound Of Londonとのコラボ企画が持ち上がり、Noel Gallagher's High Flying Birds × Amorphous Androgynousとしてアルバムを作ったものの、あまりに勢い任せに冒険し過ぎた結果、次の目標地点を見失ってしまった可能性はある。結局このコラボも18曲ほど作られたようだが殆どがお蔵入りしており、最終的に世に出たのは『Songs From The Great White North』という4曲入りEPのみ。ちなみにこの時作られたコラボ曲、何曲かはサブスク或いはYouTubeなどで聴くことが出来、後の3rdアルバム『Who Built The Moon?』(2017)以降の音楽性へのヒントを感じられる仕上がりではあるが、同時に『Modernism: A New Decade』がお蔵入りにされた頃のThe Style Council、というかPaul Wellerとちょっとカブる何かを感じたりもする。良く捉えれば初期衝動や好奇心に忠実なんだけど、悪く言えば未整理な、方向性の定まらないものだった。

そういった反省も踏まえて、次のアルバムは勢いに任せず、自然体でじっくり作ろう、多少時間が掛かっても納得いく作品にしよう、という意識を強く持った上で制作に臨み、その結果のリリースブランク3年、出来上がったアルバムも昔ながらのノエルらしい楽曲が並んだという事なんじゃないかなぁ、と邪推してみる。セルフプロデュースという選択も、一旦自分の真ん中を見つめ直す為に必要なものだったのだろう。そして今作で真ん中に再び焦点を当て直し、ここでAmorphous Androgynousとのコラボで得たインスパイアをもう一度引っ張り出し、改めて整理した上で次作『Who Built The Moon?』へと帰結させていった、というのが事の顛末だったのでは、と予想。

 

という事で、個人的にはこのアルバム、ノエルの音楽的変遷における、「振り出しに戻る」的な1枚と捉えている。

ちなみに、このアルバムを出した辺りから、High Flying Birdsにもゲム・アーチャー(Gt.)やクリス・シャーロック(Dr.)ら元Oasisメンバーが少しずつ再合流していく。Beady Eyeが空中分解後、「すみませんでした、兄貴」みたいな風に言って入れてもらったのかな。だとしたら弟リアムはプライドズタズタだよなぁ、とかいう変な想像をしたりしたけど、そのリアムも今やグレッグ・カースティンらの力を借りて完全復活した訳だし、終わり良ければ全て良しという事で。