A Confession of a ROCK DRUMMER

KenKenという太鼓叩きの独り言。

【好きなアルバムについて語る】Feeder - Pushing The Senses

 

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2005年リリースの、イギリスのロックバンドFeederの5枚目のスタジオアルバム。サウンドスタイルを全く反映していない意味不明なジャケットデザインが目を引くが、デビュー〜2000年代くらいまでのFeederの作品は正直どれもそんな感じである(最近は割と分かりやすい感じで纏まっている傾向にあるけど)。デザイナー誰なんだろ、と思って軽く調べてみたけどよく分からなかった。

このFeederというバンド、出会ってもう10年以上愛聴し続けているんだけど、こうしてディスクレビューみたいな形で文章化した事は殆ど無かった。昔mixiのレビューに1枚か2枚投稿したような記憶がうっすらあるけど定かではないし、mixiを今更開いても色々と辛くなるだけなのでわざわざ確かめようとも思わないが。てかアカウント残ってんのかな?

ちなみにこのアルバム、Apple Musicでは何故かベストアルバム扱いされている為、アルバム一覧には出てこない。そのくせBサイド集の『Picture Of Perfect Youth』はオリジナルアルバム扱い。何だこれ。サブスクってこういう細かいトコ雑だよな。いや俺が気にし過ぎなだけか。

 

前作『Comfort in Sound』(2002)から約3年振り。その前にバンドは初代ドラマーのジョン・ヘンリー・リーを喪うという悲劇に見舞われており、同作含め今作『Pushing The Senses』はその悲しみの只中で制作されている為、サウンドスタイルもそういった感情が多分に反映されている。その一方で活動ペースとしては以前と変わらず、もしくは以前よりアクティブにすらなっており、ジョンの死が2002年の1月なのにも関わらず『Comfort in Sound』のリリースは同年の10月、2003年には2度目のKerrang! Awards受賞、2004年も今作『Pushing The Senses』の制作にほぼ全て充てている、と言った具合である。メンバーの死(自殺だった。やりきれないよな)という悲劇の中、彼等は止まる事ではなく進み続ける事でその悲しみを癒そうとしたのであろう。また活動継続にあたってはジョンの遺族からの説得があったとも言われている。

 

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地元ウェールズやロンドンなどで音楽活動をしていたグラント・ニコラス(Vo.Gt.)とジョン・ヘンリー・リー(Dr.)の2名が、当時組んでいたバンド「Real」解散後の活動を模索していた際に、Loot誌上のバンドメンバー募集広告でタカ・ヒロセ(Ba.)と出会い、結成されたのがFeederである。ちなみにこれ、「タカが出した募集広告にグラントとジョンが反応した」説と、「グラントとジョンの出した募集にタカが応募した」の2つの説があるらしい。まぁ、正直どっちでも良い話だけど。

Feederが結成された1994年という年は、イギリスにおいてブリットポップ黎明期に当たる。Blurの『Parklife』が出たのもこの年だし、Oasisがデビューを飾ったのも同年である。その前の、ブリットポップのプロトタイプとも呼べる「マッドチェスター」期から、「イギリスらしいロックの復興」というのがイギリス国内で強く求められるようになり、またカート・コバーン(Nirvana)の死によって米グランジオルタナのイギリス国内での影響力が急激に落ちた事も相まって、BlurOasis両バンド共好意的にシーンに受け入れられ、気付けばこの2バンドを筆頭に様々なバンドが出現、誰が付けたかも分からない「ブリットポップ」という呼称でイギリスのシーンを席巻するムーブメントへ発展していく。そんでもって翌1995年にはもう、もはや伝説となったあの「OasisBlurシングル対決」まで行っちゃうんだからなぁ。展開が早過ぎるって、いくらなんでも。

さてイギリス国内がそんな状況だったもんで、「UK版Smashing Pumpkins」と呼ばれる程のヘヴィかつノイジーなギターサウンドを全面に押し出し、イギリスよりもアメリカからの影響が色濃いスタイルを纏ったFeeder、当然ながらシーンに居場所などある筈も無かったんだけど、それでも地道な活動が新興レーベルのEcho Label(後に6th『Silent Cry』までのFeeder作品をリリースする事になる)の目に止まり契約を獲得、初期の作品がKerrang!やMetal Hammerなどに取り上げられるなどして、少しずつ知名度を上げていく。最終的に彼等がメインストリームへその名を轟かせるのは、ブリットポップがほぼほぼ死に絶えた90年代末〜2000年頃になるのだけれど、その頃アメリカでグランジ以降の流れとしてポップパンクやエモ、パワーポップが勢いを増していたのも、彼等のブレイクスルーと無関係ではないんじゃないか、というのは個人的な推測。いずれにせよ、結成当時からキャリアを通して変な流行りに乗せられず、ハイプから免れられたのは幸運だった。

そして国内外の大型フェスにも出まくるようになり(タカの凱旋公演ともなるフジロック初出演もこの時期)、ようやく完全自力での成功を掴んだ直後での、ジョンの突然の死。理由は諸説あるが、ツアー生活により生じた家族との擦れ違いに苦悩していたという話をどこかで聞いた事がある。悲しみに暮れたグラントとタカは、ただ打ちひしがれるのではなく、この悲しみを音楽に落とし込む事を選ぶ。それが、自分達にとって最も良いセラピーになると信じて。

 

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ジョンの後任となるドラマーには元Skunk Anansieのマーク・リチャードソンが選ばれた。ジョンの線の細いタイトなドラミングとは対照的な、デイヴ・グロールを思わせる豪快で骨太なドラミングが持ち味のプレイヤーである。だがパワー一辺倒ではなく繊細な表現にも長けており、適応力など含めトータルの実力は正直ジョンより上。『Comfort in Sound』ではサポートメンバーとしての参加だったが、『Pushing The Senses』制作にあたって正式にメンバーとして迎えられている。加入以降パワフルさとソフトさのメリハリを器用に使い分けるプレイでFeederサウンドのグルーヴを担っている(2009年にSkunk Anansie再結成に伴って脱退しちゃうんだけど)

そんな彼を迎えて制作された前作『Comfort in Sound』は、ジョンの死への悲しみを包み隠さずストレートにぶつけた楽曲が多い。これまでのグランジ色の強い元気なスタイルから一変、ヘヴィな曲は正直空元気感が否めないし、メロウな曲では墓前で泣き崩れるグラントの姿が目に浮かぶようで、時折聴いてて辛い瞬間もあったりするアルバムなのだが、音楽的にはグラントの紡ぐメロディによりメロディアスかつ深みが増すなど、現在のFeederスタイルの基礎が築かれる作品となっている。悲しみや苦悩、絶望などのネガティブな感情がアートを最も美しく磨くというのは、何とも皮肉なも話である。

このアルバムで悲しみを吐き出せるだけ吐き出したFeederが、その悲しみの先に見た何かを音に具現化したようなアルバムが本作『Pushing The Senses』と言える。

 

何でも良い、人間は悲しい事が起きるとまずその悲しみを全身で表に吐き出していく。それがとにかく涙を流すだったり、ひたすら落ち込むだったり、或いはヤケになったり、または悲しみから逃れようと何か打ち込んだり…など、行動パターンは人によって様々である。そしてそういった行動を経て感情をある程度吐き出し終えると、その悲しみに徐々に「慣れ」、或いは「忘れ」ていく。この『Pushing The Senses』というアルバムが描くのは、その「感情を吐き出し終えて」から、「慣れ」「忘れ」るまでの間の時期の、心の揺れ動きである。残酷な事に時間は常に一方通行で、巻き戻ってはくれない、ただた前に進むだけだ。そして自分の中に沸き上がる感情も段々と薄れていく。あんなに悲しみ絶望していたのに、気付けば涙も流れなくなって、でも元通りには程遠くて…という微妙な感情の移り変わりを表現している。

音楽的に話すなら、ソリッドなバンドサウンドよりも、ポストロック的な壮大さを持った空間演出に舵を切っており、ギターの音もかなり控えめだ。勿論表題曲なんかは今までのFeederらしいロックサウンドを持ってはいるけれども。その代わりにピアノやストリングス、シンセサイザーなどが前面に出ており、これは前作『Comfort in Sound』でも試みられていた手法をより発展させたもの。グラントのソングライティングと歌唱法も、前作で掴んだスタイルを本作のコンセプトに合わせてより進化・深化させており、ただメロウなだけでは終わらない不思議な深みを楽曲にもたらしている。またこの空間演出を作り出す為、一部楽曲には今までのFeeder作品を手掛けたギル・ノートンに加え、Coldplayを手掛けたケン・ネルソンがプロデューサーとして名を連ねている。

そしてアルバムの構成も、そういった感情の移り変わりを表現するように、アルバム前半にシングルカットもされたバラード曲を、後半にはより実験的なアプローチの楽曲を配置し、どんどん暗く沈み込んで、そこからまた少しずつ明るくなっていくようなコントラストを描いている。ダークなトーンで始まったアルバムも、曲が進むに連れて少しずつ光が見え、そして最後の曲「Dove Grey Sands」が終わる頃には、決して立ち直ってはいないけど、ひとつ心の中に整理がついたような、不思議な落ち着きを感じさせる。ちなみに日本盤だとこの後ボーナストラックとして「Shatter」「Victoria」の2曲が追加収録されてるのだけれど、アルバムとカラーが違い過ぎる故か通常より長めのブランクを経てからボートラ2曲が始まるようになっている。これ偶然なのか敢えてなのか分からないけど、敢えてだとしたら製作陣の気遣いがありがたい。こういうのあんま無いからな最近は。

 

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こうして完成した『Pushing The Senses』。セールスも好調、評論家からも好意的なレビューで受け止められ、前作よりは少しポジティブになった雰囲気のアルバムにファンもとりあえずひと安心、そんな作品となった。

そして翌2006年にはキャリアの総決算としてこれまでのシングル曲を集め新曲3曲を加えたベスト盤『The Singles』を発表。新生Feederは、少しずつ元気を取り戻していくのだけれど、ジョンの死がバンドに落とした影は、今日に至るまで完全に晴れ渡る事は無かった。だが、彼等はこの『Pushing The Senses』というアルバムで、その影との向き合い方と共存の仕方、そして「悲しみによって心に開いた穴は、必ずしも塞がなくて良い」という事に気付く。そしてその考え方は以降のFeederの作風に大きな影響を与え、彼等の音楽により力強い説得力を持たせる事となった。次作『Silent Cry』(2008)で、現在のFeederスタンダードと呼べる形が出来上がる事になるのだけれど、そのプロトタイプ又はコンセプトモデルが本作『Pushing The Senses』と言えるんじゃなかろうか、と考えている。