A Confession of a ROCK DRUMMER

KenKenという太鼓叩きの独り言。

【好きなアルバムについて語る】Smashing Pumpkins - Machina : The Machines Of God

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2000年リリース、アメリカ・シカゴのオルタナティヴロックバンドSmashing Pumpkinsの5枚目のスタジオアルバム。本作を以てバンドは一度解散したため、1つの区切りとなる作品のはずなのだが、スマパンディスコグラフィの中ではどういう訳か影の薄い扱いをされている。まぁでもそれも別に無理のない話で、ここまで出してきたアルバムが全部個性的でそれぞれ違った魅力を持ったものばかりだし、売上もモンスター級という背景なのもあって、結果的に正直取っ付きづらい立ち位置に落ち着いてしまっているのである。確かにスマパン知らない人に勧めるアルバムって言えば未だに『Siamese Dream』(1993)か、『Mellon Collie And The Infinite Sadness』(1995)のどちらかで、その次が『Gish』(1991)か『Adore』(1998)なので、消去法的に優先順位は一番最後となり、それが結局「一見さんお断り」な印象を与えてしまう。理不尽だよなこれ。

まぁ「埋もれた名作」という事で紹介したい。

 

Smashing Pumpkins、通称スマパンと言えば、90年代オルタナティヴロックを代表するバンドである。日本国内での人気・知名度だけで言えば、ヘタしたらNirvanaの次くらいあるんじゃないの?って感じたり感じなかったり。多分UKブリットポップ勢との混合戦にすると、NirvanaOasisが熾烈なトップ争いしてて、その後ろでBlurRadioheadスマパンら辺が2番手争いをしてるイメージ。スマパンってオルタナって呼ばれる割に曲自体は意外とポップなので、日本人の間で強烈に好き嫌いの分かれるグランジオルタナバンド達の中でも割と人気のある方じゃねぇのかなぁ、というのは勝手な印象。まぁでも悲しいかな、90年代米オルタナって、日本国内ではRed Hot Chili PeppersFoo FightersRage Against The Machineみたいな、「特別枠」な方々がめっちゃ人気出ちゃってる一方、Pearl Jam始め「王道枠」な方々はNirvana以外は全然人気ないというちょっと気まずい感じなのでアレだけど。この辺は以前書いたGarbageのレビューにも少し書いたけど。

 

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Smashing Pumpkinsのバイオグラフィを纏めると、主に3つに分ける事が出来る。デビューから2000年の解散までを第1期、2005年の再結成から2018年までのビリーによるワンマン体制を第2期、2018年のジミー・チェンバレン(Dr.)とジェームズ・イハ(Gt.)再加入によるリユニオン以降〜現在を第3期、という具合である。本作『Machina : The Machines Of God』は、ここでいう第1期の最後にリリースされたアルバムで、内容的にも当時のスマパンの集大成を記録したものとなっている。にも関わらずここまで影が薄い扱いをされているのは、前々作『Mellon Collie〜』が内容・売上双方の面で代表作過ぎるのと、対して前作『Adore』が商業的に大失敗した、というインパクト大な事実がある為であり、結果スマパンのキャリア自体に、要するに「従来路線を続けときゃ良かったものを無理に冒険した結果大ゴケし、そのままフェードアウトしていった」という印象を与えてしまい、フェードアウトする寸前のアルバムという事でスルー或いは後回しにされがち、という事なのだと思う。 何て不名誉な話だって感じ。まぁ上の事実も決して間違ってるわけでは無いし、こういう前後関係や背景のせいで正当に評価されていないアルバムがあるというのは、残念ながら珍しい話ではない。

 

従来のギター中心のサウンドを捨て、打ち込みなどを多用したニューウェイヴ風路線を打ち出した『Adore』(1998)が商業的大敗を喫したスマパン。当時既にオルタナシーン自体の失速・影響力低下が進んでいた状況で、ビリーはバンドの解散を決断する。当時同じように時代の煽りを喰らっていたPearl JamNine Inch Nailsが、「もう何でもいいやー、これから好き勝手やりまーす」と開き直った上で活動継続を選択したのとは対照的だった。

一応言っておくとこの『Adore』、商業的に失敗しただけで評論家からはポジティブな反応だったので、アルバム1枚の売上不振だけで解散を決断するというのは正直かなり極端な選択とも言える。だがビリー・コーガンカート・コバーン亡き後、オルタナシーンが次のリーダーを求める中で自ら積極的に手を挙げていた人物でもあった為、オルタナ的姿勢を体現した『Adore』の商業的失敗は、言わばオルタナ代表としての敗北を意味し、彼の戦意を喪失されるには十分以上だった。

 

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Smashing Pumpkins自体はグランジオルタナの波に乗ってデビューしてはいるが、シーン発祥の地であるシアトルとは特に縁もゆかりも無いバンドである(一応Sub Popからシングルを出した事はあるらしいけど、それだけ)。音楽的ルーツにしても、シアトル勢がほぼ100%通っているBlack Sabbathはまぁギリ通っているけど、70〜80年代パンク・ハードコアなどは殆ど通っていないし(むしろ嫌っていたとも言われている)、どちらかと言えばCheap Trickのような大衆的でメロディアスな音楽や、The Cureのような耽美性あるサウンドなどに影響を受けている為、シアトル勢との共通項目はあまり無い。アーティストとしてのアティチュードにしても、シアトル勢の持つ徹底したアンチ商業主義的スタイルは当然抱いていたものの、彼の場合それを上回るほどの承認欲求・成功願望を抱いてバンドをやっていたように見える。その欲求の強さ故に、『Siamese Dream』制作時はドラマーのジミー以外のメンバーをスタジオから締め出してドラム以外全て自分で演奏し、ミキシングルームではプロデューサーのブッチ・ヴィグとばかりやり取りしていた程。勿論音楽的にはアンチ商業主義的スタイルを貫き、決して大衆に媚びるような事は一切無かったスマパンだが、ビリーにとってはそれと同じくらい、多くの人に評価される=売れるという事が重要だったのだ(それ故に何かと批判もされたのだが)

音楽的ルーツだけでなく、成功への解釈や向き合い方もシアトル勢とは違うものを抱いていたビリー、もしかしたらカート死後にオルタナ次期リーダーに立候補した際も「シアトル勢は今やオルタナのオールドウェイヴだ、俺達がオルタナのニューウェイヴになってやる」などと本気で思ってたのかもしれない。確かに当時のシアトル勢オルタナバンドの多くは、自ら課した制約によって自家中毒に陥り始めていたので、それを横目にビリーも何か思う所があったとしても不思議ではない。

 

そして、次期リーダーとしての強い自覚を以て、ビリーは他メンバーと共に1995年に2枚組『Mellon Collie And Infinite Sadness』を生み出す。自己模倣の否定と、形骸化し始めていたオルタナからの更なる脱却を目指した音楽性、商業性を伴わぬ内容と2枚組というパッケージにも関わらず、最終的に全世界で1000万枚近くを売り上げ、音楽賞も数多く受賞。名実共にオルタナのリーダーに相応しい仕事を見事成し遂げる。同時に自ら渇望する「評価」を、「成功」という最も望む形で掴み取った。

 

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だが世間が彼等に、オルタナに味方したのはここまでだった。ドラッグ問題で逮捕されたドラマーのジミーを解雇した後、ドラマー不在という事実を逆手に取り、引き続きオルタナのリーダーらしく、新規軸を打ち出した次作『Adore』は、なんとアメリカ本国で20万枚にも届かない(あくまで最初だけだけどね。今は再評価が進んでもっと売れてるけど)という大失敗に終わってしまう。だがこの逆境に苦しんだのはスマパンだけではなく、翌1999年にはNine Inch Nailsが大作『The Fragile』を何とかチャート1位に送り込むも、僅か1週間足らずで圏外へと弾き出されている。ちなみに1998年という年は、Kornが3rdアルバム『Follow The Leader』をUSビルボード1位に送り込み、新勢力ニューメタルの先導者としてシーンでの支配力を強め始めた年でもあった。この結果を前に、時代はもう自分達だけでは抗いきれない程変化してしまった事を悟ったビリーは、終わりゆくオルタナティヴムーヴメントと運命を共にするかの如く、バンドの解散を決意する。それを踏まえた上で、Adore制作前に解雇されていたジミーを再び招聘し、今作『Machina : The Machines Of God』に着手するのであった。

 

当然ながら、当時は後に再結成するなんて(恐らく)微塵にも思っていなかった彼等、本作をSmashing Pumpkinsの最終到達地点として刻むべく、『Gish』から『Adore』までで培ったあらゆるノウハウを注ぎ込む。既にメンバー間の人間関係はかなり悪化していたようだが、「最後のアルバム」という明確な共通認識の元に団結、アルバム制作は進んでいく。最後の最後でダーシー・レッキー(Ba.)が突然脱退するという事態に見舞われるものの、元Holeのベーシスト、メリッサ・オフ・ダ・マーの力を借りつつアルバムは完成。ノイジーなギターサウンドあり、ニューウェイヴ風のダークかつドリーミーな空気感あり、そしてメランコリックなメロディラインありと、Smashing Pumpkinsというバンドがこれまでに見せた個性という個性があらゆる形で花開き、バンドの足跡を彩ると同時に、それらが上手くコラージュされながら、最終的に今までのどの作品とも違う、唯一無二の世界観を形作るに至った。

バンドのキャリアの集大成として作られたこのアルバムは、同時にバンドの墓標ともなった。2000年、彼等はアルバム発表の後に正式にバンド解散を発表し、終わりゆく時代への最後の挨拶としてワールドツアーを敢行。ツアー最終公演として、初ライブを行ったシカゴのライブハウス「メトロ」に立ち、解散していった。彼等の出来うる最も美しい形で、Smashing Pumpkinsはその歴史に終止符を打ったのだった。

 

90年代という時代を戦い抜いたバンドが、最後に行き着いた姿がこのアルバムには刻まれている。同時に、Pearl Jamの『Yield』(1998)や、Red Hot Chili Peppersの『Californication』(1999)などと並び、1990年代という波乱の時代の終わりを象徴するような作品となっている。

聞いたこと無いけど「史上最も過小評価されているラストアルバム」みたいなランキングって無いのかなぁ。多分あると思うけど、もしこのランキング自分が作るとしたら絶対ランクインさせる。何位にするかは分からないけど。

でも今となってはラストアルバムじゃなくなっちゃったもんなぁ。ここまでのそういう複雑な背景込みで、個人的に思い入れのある1枚である。

 

ちなみに、本作には実は続編があり、その名も『Machina Ⅱ : The Friends And Enemies Of Modern Music』という、25曲入りというなかなかのボリュームの1作なのだが、本日に至るまで正式リリースされていないという曰く付き?な作品となっている。

というのも、当初『Machina』との2枚組構想や、2部作構想などがされていたようだが、レーベルが発売に興味を示さなかった為、アナログ盤が25組のみプレスされ、ビリーの近しい友人に配られた後、彼等の手によってネット上にアップロードされる事で世に出た、というこれまたクセのあるエピソードを持つ。

これについても詳しくは、また改めて書きたいと思う。いつになるか分からないけど。