A Confession of a ROCK DRUMMER

KenKenという太鼓叩きの独り言。

【好きなアルバムについて語る】The Who - Endless Wire

 

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2006年リリース、UKレジェンド枠の一角を占めるバンド、The Whoの11枚目のアルバム。この1つ前のアルバムが1982年『It's Hard』なので実に24年振り、また再結成以来初のアルバムである。このアルバムが出る前の2004年にThe Whoはバンド初の来日を実現しており、またリリース後の2008年にも単独来日公演を行うなどもあって、基本的に人気の無い日本でもそれなりに注目を浴びていたが、既にキース・ムーンだけでなくジョン・エントウィッスルもこの世を去っており、「2人無くしてThe Whoと言えるのか」という論争を後々に招くこととなった他、意外と簡素なサウンドメイキングや、従来以上に内省的な作風などもあって賛否両論な扱いを受けている。

制作は従来通りピート・タウンゼント完全主導で行われているが、ザック・スターキーピノ・パラディーノ含め外部ミュージシャンの起用は限定的であり、多くの楽曲でピートが1人で演奏してロジャーが歌う、という手法も採られている。

 

前述した通り、世界的に見ればThe BeatlesThe Rolling StonesThe Kinksらと並び、1960年代イギリスロックの代表格として君臨しているにも関わらず、日本国内においてはThe Whoは相対的に人気・知名度が落ちる。いや知名度は十分あるか。だが一般層に対しては、初期の「My Generation」とか「The Kids Are Alright」とかが所謂ロッククラシックとしてそこそこ知られてる程度である。とは言っても、2008年の単独来日公演は日本武道館さいたまスーパーアリーナなど大会場をしっかり埋めているので、正確なところまでは分からないけれど。

彼等が所謂「スモール・イン・ジャパン」になってしまった理由として、全盛期(60〜70年代)に来日しなかった事などが多く語られるが、同時にその全盛期に出したアルバムー『Tommy』(1969)や『四重人格』(1973)ーで提唱した「ロック・オペラ」というコンセプト自体がとにかく分かりにくかった、というのが最も大きいと思われる。この当時になると、所謂コンセプトアルバムというのは様々なジャンルで生まれてはいたが、例えばThe Beatlesの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967)やThe Beach Boysの『Pet Sounds』(1966)などは、コンセプト云々以前にその楽曲に強烈なポップさがあったし、Pink Floydのようなプログレッシヴロック勢なども、展開の読めない複雑な楽曲構成やテクニカルな演奏などがあり、要するに「コンセプトだかテーマだかよく分かんないけど良い曲揃ってるor聴き応えがある」という、オタク心をくすぐる音楽的な強みがあった為、まだ日本人でも分かりやすかった。一方でThe Whoのロック・オペラはと言うと、楽曲はポップっちゃポップだけどThe Beatlesほどでも無いし、高い演奏力こそ注目されどプログレ勢のようなテクニカルさは無かったし、アレンジや構成も、所々優れた情景描写こそあれど基本的に強烈な聴きどころがある訳でもなく、アルバムのコンセプトの殆どをその歌詞の物語性に強く依存していた為、英語の分からない日本人にとっては何のこっちゃさっぱり分からず、結果「多分すごいんだろうけど、パッと聴いた感じなんかパンチない」という印象を与えてしまっているのである。実際、The Whoのアルバムで国内で最も評価されていると思われる『Who's Next』(1971)は、元々「Lifehouse」というオペラを基に作られた楽曲群を、アルバム制作頓挫に伴いそのコンセプトを破棄し、シンプルなロックアルバムとして、コンセプト・アルバムの体裁を有さずに完成されている。そうなんだよね、正直自分も純粋な「聴きもの」として『Tommy』や『四重人格』を聴こうってあんま思わないもの。歌詞カード手元に自分で和訳も用意してじっくり聴いて初めて「おおっ…!」てなったし、『Who's Next』も前述の『Lifehouse』のタラレバを想像して聴きながらワクワクしたりしてたし。ディズニーのサントラだって映画の映像を既に観た上でそれを思い浮かべながら聴くから楽しめるのであって、フーのロックオペラには映像無いもんね、基本的に。

まぁ他にも例えば、そもそも「モッズ」というカルチャー自体も日本人にはピンと来なかったり(純粋な不良集団としてはストーンズの方が100倍分かりやすかった)とか、ステージ上でギターやドラムを破壊するパフォーマンスなどのプロトパンク的イメージと、ロックオペラという文学的な音楽性という、相反する個性が頭の中で結び付けづらいなど、彼等の持つあらゆる強みがことごとく日本人には分かりづらかったという不幸(?)もあって、本日に至るまで日本国内でThe Whoが「60年代UK4大ロックバンドの1つ」或いは「パンクのゴッドファーザー」以外の文句で正当に評価されているとは言い難い。今でこそサウンドのアグレッシブさと歌詞の文学性の共存なんか当たり前なんだけどね。なんか段々申し訳なくなってきたから、この話この辺で止めとくね。

 

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キース・ムーンの死後、1983年にThe Whoは正式に解散、したんだけど何やかんやで散発的な再結成を繰り返しており、その後1996年頃より本格的に活動再開している。解散後は基本的には各々ソロでやってたんだけど、なんかライブエイドに呼ばれて1回限りの復活してみたり、ボックスセットとか出してみたり、ピートのソロアルバムにThe Who名義で曲作って入れてみたり、しれっと『Tommy』(1969)の20周年ツアーとかやっちゃったり、とかとかとか。君ら本当に解散したの?

まぁでもThe Who解散の顛末というのが、キース存命の頃、もっと言うと結成直後から別にそんなに良くなかったメンバー間の人間関係が、キースの死と後任ケニー・ジョーンズの加入によって複雑化、ピートのメンタルがやられ薬物中毒のぶり返しを招いた結果、ロジャーの判断により解散、と言うもので、お世辞にも「美しい幕切れ」とは呼び難い結末だった。それ故にメンバーそれぞれThe Whoというバンドに対して未練というか、思うところはあったんだろうな、とは想像出来る。ましてやメンバー皆、解散前後のソロ活動に関しては決して成功したとは言い難く、そんな活動をちまちま続けるよりも、フーで1発ドカンと何かやった方が正直圧倒的に金が稼げるっていうのもあったので「いつか…」という考えは必ずメンバー皆持っていたのではないかとは思われる(ちなみにジョン・エントウィッスルが経済的にヤバくなり始めたのも多分この時期。ソロ活動が一番上手く行ってなかったとは言え、多分元々が割とだらしないのはあるのかね)。だが数本の再結成ライブに付き合った後にケニー・ジョーンズが正式に脱退、以降後任に相応しいドラマーにも特段巡り会えない事もあり(フィル・コリンズからラブコールがあったとか無いとか。ちなみにこいつ同時期にツェッペリンにも似たような感じでアプローチしてる)、じゃあ誰にドラム叩かせる?ケニーの時もただでさえ揉めたんだし、もうケンカはゴメンだぜ…という感じで話はなかなか進まなかったり、ピートはピートで難聴が悪化したが為にライブでの演奏に制限が生まれてしまい、そんなこんなでThe Whoは暫くの間、イマイチはっきりしない状態となってしまった。

 

ケニーが去った後の後任ドラマーの座は、最終的にThe Beatlesリンゴ・スターの息子、ザック・スターキーが射止める。ザックは幼少期にキースからドラムの手解きを受けており、言うならば弟子である。これ以上無い適任者を見つけ、またピートの耳も快方へ向かった事もあって、The Whoはようやく本格的な活動再開へと動き出す。手始めに『四重人格』(1973)完全再現ライブを皮切りにツアー活動を本格化、ザックの貢献もあって、キース死後に失われつつあったライブバンドとしての勢いを少しずつ取り戻していく。この頃のライブの映像は今でもYouTubeで見れるけど、鬼気迫るものがあるもんな。バンドを生き返らせたという意味でザックの功績は非常に大きい。

だが、これでようやくキースの穴が埋まった、再び理想とするThe Whoサウンドの再現が出来る…と思い立った矢先、2002年6月27日、ジョン・エントウィッスル急逝。享年57。翌日から全米ツアーが始まるというタイミングでの、あまりに突然過ぎる悲劇だった。

 

だが今回は彼等も止まらなかった。すぐさまピートのソロ作品への参加経験のあるベーシスト、ピノ・パラディーノを代役として招聘、ツアーを再開する。スタジオでも、2003年にグレッグ・レイク(言わずと知れた、元Emerson, Lake & Palmerのベーシスト)をゲストに迎えた新曲「Real Good Looking Boy」のレコーディングを行って以降、ピートの創作ペースも上がっていく。手始めに彼は、以前ネットで発表した短編小説「The Boy Who Heard Music」を基にしたミニ・オペラ「Wire And Glass」(後にEPとしてリリース)の製作を開始、そのオペラを中心としたアルバムの制作をThe Whoとして進めていく。同時期にインターネットという新たなオモチャを手に入れた事もあって、ピートのモチベーションは再結成以降最高潮にまで上がっていた。そうして2004年頃から制作・レコーディングを行い、24年振りの新作『Endless Wire』はようやく出来上がった。

 

音楽面に目を向けると、特段新しい事などはそんなにしておらず、前作『It's Hard』からの地続きとなる、あくまで「The Whoらしい」仕上がり。参加ミュージシャンはベースにピノ・パラディーノ、ドラムはザック・スターキーOasisのツアーの為1曲のみの参加に留まった為、残りはピーター・ハンティントンが担当。それぞれ前任者を意識したようなプレイが目立つ。この辺りはピートのデモを忠実になぞった結果とも考えられるが、「The Whoらしいサウンドに必要な要素とは何か」を考えた結果、ジョンのブリブリベースとキースのドタバタドラムがそのリストに載ってくるのは必然的なことである。M-1「Fragments」で露骨にBaba O'Rileyへのオマージュを見せてきたり、M-10「Sound Round」では絵に描いたフー印全開のアグレッシブな演奏を聴かせてくれる。

前述のミニ・オペラ「Wire And Glass」はアルバム後半に配置されいるが、前半部に収録された楽曲も多くが短編小説「The Boy Who Heard Music」に関連付いた内容になっている。この短編小説、詳しい情報がなかなか手に入らず、原文は読む事は出来ても解説とかも全部英語のものばかりなので、理解し切れない部分がどうしてもある。日本語解説サイトなんてほぼ無い為ざっくりとした所までしか分からないが、

「生まれ育った環境・文化・思想などあらゆる面で異なる背景を持つ3人の若者がバンドを結成し、キャリアを進めていく中で成功や失敗、衝突や苦悩、生と死などと向き合う様子とその周囲を変化を描く物語」

という内容のようである。アルバムの曲名や歌詞に出てくる単語…例えば「Fragments」「Ether」「Mirror Door」など、更には「Music」という単語すらも、辞書に書かれたとは違った意味合いを持っているのは間違いないが、もう少し詳しく調べる必要がある。また、ピートが長年作り続けたオペラ「Lifehouse」への言及も幾つか見られるようである。プロットのモデルはThe Whoのキャリアそのものである事は想像に難くないが、英語力に自信のある人は調べて読んでみて頂きたい。

 

だが、アルバム全体を見渡すと、「会心の復活作」と呼べる程の元気の良さは正直無く、前述の内省的な歌詞世界に合わせてか大人しさの方が目立つ。アコギ又はピアノの弾き語り曲も多い。アルバムの最後を締め括るM-19「Tea And Theatre」などは、自らの人生を振り返ったような、感動的な内容になっている。

まぁ実際に曲作ってみて、改めて自分達が年老いた事に気付かされた、同時に年老いたからこそ新たな発見があった、ってのはあるのかもしれない。実際60代だし、既にメンバー2人鬼籍に入っているわけだしね。考える事や感じる事がガラッと変わってしまっているワケで。

ただこの大人しさ、「老生」のような要素が、良くも悪くもこのアルバムの評価を何とも言えないものにしてしまっている感は否めない。2019年に『WHO』のリリース直後なんて、ロッキングオンで「Endless Wireは失敗作だ」って、思いっきり扱き下ろしてた記事も見た事あるし。正直アレは無いよなぁ、と個人的には思ったが。

 

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「老い」と向き合って作られた作品というのは、どうしても評価が分かれてしまう。ジョン・フルシアンテ復帰後のRed Hot Chili Peppersとか最たる例だけど、どうしても若い頃の勢いやキレの良さを知ってしまっている以上、それを求めてしまうのはファン心理として仕方のない事である。他にも再結成後のSteely Danドナルド・フェイゲンのソロ作なんかも賛否両論だった。

なので、そういった作品を正しく評価するには、アーティストの歴史と、本人達の人間性などというものをしっかり理解した上で寄り添う必要がある。ましてや今回のThe Whoのように長いブランクを挟んでいる場合は尚更である。大木というのは見た目だけではその強さは分からない、実際に断面の年輪を見て初めてその強さが分かるものである。ロジャー・ピート両名とも、周囲に若き日の幻想を抱かれる事は承知の上で本作をこういった形に仕上げてきている筈である。恐れる事なく自らの老いと、それに伴う心境の変化、キースとジョンを喪い、移りゆく時代や環境の変化へも親身に向き合い、彼等はこの『Endless Wire』を完成させた。その歴史は片鱗を理解した上でこのアルバムに向き合えば、それこそ年輪の如く、至る所にその月日の長さが刻まれている。本作もまた、The Whoというバンド、及びロジャー・ダルトリーピート・タウンゼンドという、激動のロック史を生き抜いた2人の男の生き様を克明に刻んだ、歴史的な1枚であると言えよう。