A Confession of a ROCK DRUMMER

KenKenという太鼓叩きの独り言。

【好きなアルバムについて語る】FIVE NEW OLD - Too Much Is Never Enough

 

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2018年リリース、日本は兵庫県神戸市出身のロックバンドFIVE NEW OLDの通算2枚目、メジャー1枚目のフルアルバム。結成8年目にして満を持してのメジャーでのアルバムリリースとなった。しかもレーベルはToy's Factory。当時は結構驚いた記憶がある。だがToy's在籍中も、かつて所属していたTWILIGHT RECORDSは何かしらで引き続き関わっているのか、色んなところでクレジットされている。現在はWarner Music系にレーベル・マネジメント共に移籍したようだけど、えっ何今度HIROSHIくんドラマ出んの、えっ?そっち方面攻める感じ?おやまぁどうなる事やら。

 

今でこそオシャレなアーバンポップサウンドを鳴らしているけれども、元々は前述の通りTWILIGHT RECORDS所属であり、初期はそれはもう爽快なポップパンクを鳴らすバンドだったFIVE NEW OLD。特にHIROSHI氏(Vo.)の英語発音が非常にネイティヴであるという点から、音楽の完成度も含めて外タレ度数の高いバンドとして注目されていた。逆に言えば当時のこの界隈のバンド、みんな英語歌詞で歌うくせに殆どが英語ヘタクソだった、という事なのかな、今思うと…。まぁそういう事指摘するの殆どが洋楽リスナー(しかも邦画ディスりがちな奴等)ばっかりだし、あんま気にしてもしょうがないけどね、だってハイスタがあのカタカナ英語でOKなんだもん。

…話が逸れた。ちなみに私の知り合いでもSuchmos以降のシティポップリバイバルの流れで「Ghost In My Place」を聴いて彼等を知った人は多かったが、そういう人達の大半が、そこから過去の曲を掘り下げた途端戸惑っていた。まぁでも、昔と今とでサウンドが全然違うなんてのはパンク・ラウド系バンドにおいては別に珍しい話ではない。あのワンオクだって初期と今じゃ全く別バンドだし。

 

バンド結成は2010年。ONE OK ROCKが「完全感覚Dreamer」をリリースしたのが実はこの年。以降FACTを筆頭にFear, and Loathing in Las Vegasやcoldrain、SiMやHEY-SMITHCrossfaithらが続き、ラウドロックやパンク・ハードコアシーンにスポットライトが当たるようになり、有力バンドの多くがメジャーへ進出、その下でもインディーズレーベルが乱立、数多くのバンドを青田買いの如くデビューさせていく事となる。そんな流れがライブハウスシーンに出来ていた為か、FIVE NEW OLDも結成からそう時間を置かずにインディーズデビューを果たしており、初の全国流通盤が出たのが2012年。その頃から既に「ボーカルの英語がめちゃくちゃ上手いポップパンクバンドがいる」として話題になっていた。しかもHIROSHI氏、帰国子女でも何でもなく、完全独学で英語を身に付けたという点も関係者を驚かせていた。

だがしかし、当時のアンダーグラウンドシーンでは、従来メロコアシーンと、新興勢力としてのスクリーモメタルコアシーンが隆盛を極める中、FIVE NEW OLDのようなポップパンクバンドにはどちらにも居場所が無かった。というのも現状のシーン内に居場所を求めようにも、スクリーモなどのラウド相手では刺激も迫力も不足していたし、メロコアシーンに乗り込もうにも、あらゆる亜種すらも排斥する程保守的に凝り固まったメロコアファン相手からは強烈に拒絶されるし、それじゃあ歌モノ系と対バンしよう…としても、今度はそういったバンド達よりは激しすぎて結果相容れない、という具合だったのだ。確かにポップパンクは数としては存在していたのだが、1つのシーンを形成出来る程の勢力を持つまでには至っておらず、結果このような肩身の狭い思いを強いられていたのである。こういう「シーンの垣根」というのは、ある程度売れてしまえば全く問題にならないが、地下のシーンにおいては未だ根強く残っていた。

それじゃあ、他のシーンでも闘えるよう音楽性をマイナーチェンジさせれば良いんじゃないの?というのも考えたものの、そもそもポップパンクというジャンル、どのパラメーターも5段階中3くらいで揃っているので、他ジャンルと比較しても秀でている点も劣っている点も特段無い為、逆にどこかを伸ばすにしても補うにしても非常に難しい、要するに拡張性という点では非常に低い音楽なのである。結果的には誰にでも取っ付きやすくはあるんだろうけど、ハマりやすさも弱い。未だ日本でポップパンクが今ひとつ市民権を獲得し切れない所以はこういう所にあるのではないかと個人的には思っている。まぁそうだよね、「ポップ」と「パンク」って元はと言えば真逆のベクトルで始まってるワケだし、酸性とアルカリ性混ぜたら中性になっちゃうのと同じで、結果どちらの良さも中途半端になってしまっている感は正直あるし。…ってこんなに書くとポップパンク好きの人にボコボコにされそうだけど。

 

そんなこんなで、TWILIGHT RECORDSとの契約を掴み取り、All Time Lowなど海外バンドの前座を務めたりする機会はあったものの、シーンの居場所も飛躍のきっかけも今ひとつ掴めないFIVE NEW OLD、上に書いた事と同じ事を考えたのか現状の音楽性にも限界を感じ始め、徐々にポップパンク以外の音楽への模索を始める。そうした中で、パンク・ラウドシーンが盛り下がりを見せていた事もあって、バンドはよりコンテンポラリーな、メロディとグルーヴ感を重視した音楽性へと興味を寄せていく。この辺りの変遷は、かつてThe Jamとしてパンクから出発するも行き詰まりを感じてThe Style Council結成に走ったPaul Wellerと被る(メンバーもインタビューでThe Style Councilへ言及した事がある)し、他ジャンルを貪欲に飲み込み続けた結果パンクとは全く違う姿に変貌したFall Out BoyPanic! At The Discoのような現代のバンドとも共通している。それに元々パンクをやるにしてはちょっと優等生過ぎた感のあった彼等、最初はそういうのに憧れてTHRASHERとか着てみたけど、やっぱ似合ってないのかなぁ、結局普通にユニクロとかの方がしっくり来ちゃうんだよなぁ、みたいな事を考え始めていた頃だった。

そんな試行錯誤を分かりやすく反映した、雑多な音楽性を披露した2015年リリースの1stフルアルバム『Lisle's Neon』に収録されたシングル「Hole」にて、当時国内でシティポップ・リバイバルが起きていた事もあって、試しにそっち方面に思いっきり寄せてみた結果、これがメンバーにとっても会心の出来だったようで、以降バンドはよりスタイリッシュかつコンテンポラリーな、従来のパンキッシュさとは距離を置いた方向へと急速に舵を切る。そして『Ghost In My Place E.P.』(2016)、『Wide Awake E.P.』(2017)の2作で、The 1975をBabyfaceで割ったようなアーバンコンテンポラリーなサウンドスタイルを確立。前述のシティポップブームの後押しもあって、そのまま一気にメジャーデビューまで駆け抜けて行く事となった。

 

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かくしてポップパンクバンドから、オシャレなアーバンコンテンポラリーなバンドへと華麗な(?)転身を遂げ、念願のメジャーデビューまで果たしたFIVE NEW OLD。遂にメジャー1発目のフルアルバム『Too Much Is Never Enough』をリリースする。ここまで全部前振り。

ポップパンクからの音楽性拡張にあたって様々な音楽的要素を取り入れてきた彼等だったが、本作はそういった流れを総括しつつここでひと息入れたような仕上がり。新たな試みを取り入れる事は敢えてせず、ここまで培ったノウハウをシンプルに活かす事に専念している。

メジャーデビューに伴いシティポップバンドとして紹介され、大衆にもそのように認知されているFIVE NEW OLDだが、このアルバムの印象としては、全体をホワイトファンクをベースとしたハイファイかつオーガニックなコンテンポラリーサウンドを中心として纏め、所々に多様なタイプの楽曲をポツポツと配置するという構成となっており、所謂シティポップの王道からはかなり外れた場所に着地している。理由としてはHIROSHI氏のネイティヴな英語歌唱とより洋楽的なメロディラインだけでなく、「敢えてブラックミュージック感を脱臭させた」点が大きい。

 

シティポップという音楽は、それこそはっぴぃえんどや山下達郎もそうだったけど、海外のAORもしくはブラックミュージックへのコンプレックスというのがどうしても滲み出る。このコンプレックスは、SuchmosとかNulbarichなどの2010年代リバイバル勢のサウンドにも強烈に滲み出ており、結果的に日本人とか白人含め「アフリカ系じゃない人」がブラックミュージックを志向しようとするとどうしてもこうなってしまうらしい。まぁこれは70年代以降のブルーアイドソウルとかでも言える話であって、前述のPaul Wellerや、一時期のDavid Bowieなんかもそんな感じだった。ただ肌の色が違うだけなのに、何なんだろうね、この差って。

結果的にはそういった海外産の音楽に日本人ならではの歌謡曲風メロディと日本語歌詞という組み合わせの、決して混ざってるわけじゃないんだけどミスマッチとも言い切れない絶妙な感触が、偶発的にシティポップという名称で流行し(バブル景気やカフェ・バー文化の流行によってオシャレな音楽への需要が高まった点も後押しとなった)リバイバルを経て今では普遍的ジャンルとして定着しているわけなんだけれども、より「本物感」「黒さ」を追求していくとやっぱりちょっと物足りなさが出てくる。まぁ仕方ないんだけどねそれは。それにその「物足りなさ」が要するに「味」になったからこそジャンルとして確立されたワケだし。

FIVE NEW OLDは、コンテンポラリーサウンドに敢えて少しUK的ウェットさを加える、または敢えてブルーアイドソウルなどの「白人による黒人音楽の模倣」を模倣する事で「エセブラックミュージック感」を強烈に脱臭・希釈している。日本語歌詞を一切歌わない点も手伝って、結果的に他のシティポップバンドとは違った質感を手に入れる事にも成功した。まぁ元々照準として合わせていたのがそこでは無かったんだろうけど、周りがカラッとさせたがる所を敢えてウェットに持っていく、黒っぽくしようとする所を敢えて白っぽくする、という真逆のアプローチが功を奏した。

ちょっとアレな言い方をすると、よりモダンなサウンドを追求した結果、バンドサウンドは良くも悪くも特徴が無くなっている為、SuchmosやNulbarichのようにギター小僧が食いつくようなポイントは無くなっているけれど、同じとこ狙ったってしょうがないわけで。そもそも俺らシティポップ目指してないし、とでも言いたげな立ち振舞いには、僅かながらパンクの匂いを感じたりもする。

 

本作以降も彼等の音楽性拡張は続いていくわけなのだが、その決意表明は目立たないながらしっかりアルバムに刻まれている。

ポップパンクから遠く離れながらも新たな音楽を追求し、唯一無二の何かになろうともがく姿は、反語的にパンクそのものである、という手垢だらけの定型文で今回は締め括ってみる。

 

 

【好きなアルバムについて語る】Feeder - Pushing The Senses

 

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2005年リリースの、イギリスのロックバンドFeederの5枚目のスタジオアルバム。サウンドスタイルを全く反映していない意味不明なジャケットデザインが目を引くが、デビュー〜2000年代くらいまでのFeederの作品は正直どれもそんな感じである(最近は割と分かりやすい感じで纏まっている傾向にあるけど)。デザイナー誰なんだろ、と思って軽く調べてみたけどよく分からなかった。

このFeederというバンド、出会ってもう10年以上愛聴し続けているんだけど、こうしてディスクレビューみたいな形で文章化した事は殆ど無かった。昔mixiのレビューに1枚か2枚投稿したような記憶がうっすらあるけど定かではないし、mixiを今更開いても色々と辛くなるだけなのでわざわざ確かめようとも思わないが。てかアカウント残ってんのかな?

ちなみにこのアルバム、Apple Musicでは何故かベストアルバム扱いされている為、アルバム一覧には出てこない。そのくせBサイド集の『Picture Of Perfect Youth』はオリジナルアルバム扱い。何だこれ。サブスクってこういう細かいトコ雑だよな。いや俺が気にし過ぎなだけか。

 

前作『Comfort in Sound』(2002)から約3年振り。その前にバンドは初代ドラマーのジョン・ヘンリー・リーを喪うという悲劇に見舞われており、同作含め今作『Pushing The Senses』はその悲しみの只中で制作されている為、サウンドスタイルもそういった感情が多分に反映されている。その一方で活動ペースとしては以前と変わらず、もしくは以前よりアクティブにすらなっており、ジョンの死が2002年の1月なのにも関わらず『Comfort in Sound』のリリースは同年の10月、2003年には2度目のKerrang! Awards受賞、2004年も今作『Pushing The Senses』の制作にほぼ全て充てている、と言った具合である。メンバーの死(自殺だった。やりきれないよな)という悲劇の中、彼等は止まる事ではなく進み続ける事でその悲しみを癒そうとしたのであろう。また活動継続にあたってはジョンの遺族からの説得があったとも言われている。

 

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地元ウェールズやロンドンなどで音楽活動をしていたグラント・ニコラス(Vo.Gt.)とジョン・ヘンリー・リー(Dr.)の2名が、当時組んでいたバンド「Real」解散後の活動を模索していた際に、Loot誌上のバンドメンバー募集広告でタカ・ヒロセ(Ba.)と出会い、結成されたのがFeederである。ちなみにこれ、「タカが出した募集広告にグラントとジョンが反応した」説と、「グラントとジョンの出した募集にタカが応募した」の2つの説があるらしい。まぁ、正直どっちでも良い話だけど。

Feederが結成された1994年という年は、イギリスにおいてブリットポップ黎明期に当たる。Blurの『Parklife』が出たのもこの年だし、Oasisがデビューを飾ったのも同年である。その前の、ブリットポップのプロトタイプとも呼べる「マッドチェスター」期から、「イギリスらしいロックの復興」というのがイギリス国内で強く求められるようになり、またカート・コバーン(Nirvana)の死によって米グランジオルタナのイギリス国内での影響力が急激に落ちた事も相まって、BlurOasis両バンド共好意的にシーンに受け入れられ、気付けばこの2バンドを筆頭に様々なバンドが出現、誰が付けたかも分からない「ブリットポップ」という呼称でイギリスのシーンを席巻するムーブメントへ発展していく。そんでもって翌1995年にはもう、もはや伝説となったあの「OasisBlurシングル対決」まで行っちゃうんだからなぁ。展開が早過ぎるって、いくらなんでも。

さてイギリス国内がそんな状況だったもんで、「UK版Smashing Pumpkins」と呼ばれる程のヘヴィかつノイジーなギターサウンドを全面に押し出し、イギリスよりもアメリカからの影響が色濃いスタイルを纏ったFeeder、当然ながらシーンに居場所などある筈も無かったんだけど、それでも地道な活動が新興レーベルのEcho Label(後に6th『Silent Cry』までのFeeder作品をリリースする事になる)の目に止まり契約を獲得、初期の作品がKerrang!やMetal Hammerなどに取り上げられるなどして、少しずつ知名度を上げていく。最終的に彼等がメインストリームへその名を轟かせるのは、ブリットポップがほぼほぼ死に絶えた90年代末〜2000年頃になるのだけれど、その頃アメリカでグランジ以降の流れとしてポップパンクやエモ、パワーポップが勢いを増していたのも、彼等のブレイクスルーと無関係ではないんじゃないか、というのは個人的な推測。いずれにせよ、結成当時からキャリアを通して変な流行りに乗せられず、ハイプから免れられたのは幸運だった。

そして国内外の大型フェスにも出まくるようになり(タカの凱旋公演ともなるフジロック初出演もこの時期)、ようやく完全自力での成功を掴んだ直後での、ジョンの突然の死。理由は諸説あるが、ツアー生活により生じた家族との擦れ違いに苦悩していたという話をどこかで聞いた事がある。悲しみに暮れたグラントとタカは、ただ打ちひしがれるのではなく、この悲しみを音楽に落とし込む事を選ぶ。それが、自分達にとって最も良いセラピーになると信じて。

 

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ジョンの後任となるドラマーには元Skunk Anansieのマーク・リチャードソンが選ばれた。ジョンの線の細いタイトなドラミングとは対照的な、デイヴ・グロールを思わせる豪快で骨太なドラミングが持ち味のプレイヤーである。だがパワー一辺倒ではなく繊細な表現にも長けており、適応力など含めトータルの実力は正直ジョンより上。『Comfort in Sound』ではサポートメンバーとしての参加だったが、『Pushing The Senses』制作にあたって正式にメンバーとして迎えられている。加入以降パワフルさとソフトさのメリハリを器用に使い分けるプレイでFeederサウンドのグルーヴを担っている(2009年にSkunk Anansie再結成に伴って脱退しちゃうんだけど)

そんな彼を迎えて制作された前作『Comfort in Sound』は、ジョンの死への悲しみを包み隠さずストレートにぶつけた楽曲が多い。これまでのグランジ色の強い元気なスタイルから一変、ヘヴィな曲は正直空元気感が否めないし、メロウな曲では墓前で泣き崩れるグラントの姿が目に浮かぶようで、時折聴いてて辛い瞬間もあったりするアルバムなのだが、音楽的にはグラントの紡ぐメロディによりメロディアスかつ深みが増すなど、現在のFeederスタイルの基礎が築かれる作品となっている。悲しみや苦悩、絶望などのネガティブな感情がアートを最も美しく磨くというのは、何とも皮肉なも話である。

このアルバムで悲しみを吐き出せるだけ吐き出したFeederが、その悲しみの先に見た何かを音に具現化したようなアルバムが本作『Pushing The Senses』と言える。

 

何でも良い、人間は悲しい事が起きるとまずその悲しみを全身で表に吐き出していく。それがとにかく涙を流すだったり、ひたすら落ち込むだったり、或いはヤケになったり、または悲しみから逃れようと何か打ち込んだり…など、行動パターンは人によって様々である。そしてそういった行動を経て感情をある程度吐き出し終えると、その悲しみに徐々に「慣れ」、或いは「忘れ」ていく。この『Pushing The Senses』というアルバムが描くのは、その「感情を吐き出し終えて」から、「慣れ」「忘れ」るまでの間の時期の、心の揺れ動きである。残酷な事に時間は常に一方通行で、巻き戻ってはくれない、ただた前に進むだけだ。そして自分の中に沸き上がる感情も段々と薄れていく。あんなに悲しみ絶望していたのに、気付けば涙も流れなくなって、でも元通りには程遠くて…という微妙な感情の移り変わりを表現している。

音楽的に話すなら、ソリッドなバンドサウンドよりも、ポストロック的な壮大さを持った空間演出に舵を切っており、ギターの音もかなり控えめだ。勿論表題曲なんかは今までのFeederらしいロックサウンドを持ってはいるけれども。その代わりにピアノやストリングス、シンセサイザーなどが前面に出ており、これは前作『Comfort in Sound』でも試みられていた手法をより発展させたもの。グラントのソングライティングと歌唱法も、前作で掴んだスタイルを本作のコンセプトに合わせてより進化・深化させており、ただメロウなだけでは終わらない不思議な深みを楽曲にもたらしている。またこの空間演出を作り出す為、一部楽曲には今までのFeeder作品を手掛けたギル・ノートンに加え、Coldplayを手掛けたケン・ネルソンがプロデューサーとして名を連ねている。

そしてアルバムの構成も、そういった感情の移り変わりを表現するように、アルバム前半にシングルカットもされたバラード曲を、後半にはより実験的なアプローチの楽曲を配置し、どんどん暗く沈み込んで、そこからまた少しずつ明るくなっていくようなコントラストを描いている。ダークなトーンで始まったアルバムも、曲が進むに連れて少しずつ光が見え、そして最後の曲「Dove Grey Sands」が終わる頃には、決して立ち直ってはいないけど、ひとつ心の中に整理がついたような、不思議な落ち着きを感じさせる。ちなみに日本盤だとこの後ボーナストラックとして「Shatter」「Victoria」の2曲が追加収録されてるのだけれど、アルバムとカラーが違い過ぎる故か通常より長めのブランクを経てからボートラ2曲が始まるようになっている。これ偶然なのか敢えてなのか分からないけど、敢えてだとしたら製作陣の気遣いがありがたい。こういうのあんま無いからな最近は。

 

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こうして完成した『Pushing The Senses』。セールスも好調、評論家からも好意的なレビューで受け止められ、前作よりは少しポジティブになった雰囲気のアルバムにファンもとりあえずひと安心、そんな作品となった。

そして翌2006年にはキャリアの総決算としてこれまでのシングル曲を集め新曲3曲を加えたベスト盤『The Singles』を発表。新生Feederは、少しずつ元気を取り戻していくのだけれど、ジョンの死がバンドに落とした影は、今日に至るまで完全に晴れ渡る事は無かった。だが、彼等はこの『Pushing The Senses』というアルバムで、その影との向き合い方と共存の仕方、そして「悲しみによって心に開いた穴は、必ずしも塞がなくて良い」という事に気付く。そしてその考え方は以降のFeederの作風に大きな影響を与え、彼等の音楽により力強い説得力を持たせる事となった。次作『Silent Cry』(2008)で、現在のFeederスタンダードと呼べる形が出来上がる事になるのだけれど、そのプロトタイプ又はコンセプトモデルが本作『Pushing The Senses』と言えるんじゃなかろうか、と考えている。

 

 

【好きなアルバムについて語る】Sticky Fingers - Yours To Keep

 

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2019年リリース、オーストラリアのロックバンドSticky Fingersの4thアルバム。

このSticky Fingersというバンド、Googleで検索しても出てくるのはThe Rolling Stonesの同名アルバムの事ばかりで、前作『Westway (The Glitter & The Slums)』(2016)がタワレコ限定か何かで日本盤が出てた、って事以外は日本に殆ど情報が入ってきていない(その日本盤も全くと言っていい程話題にならなかった)。本国オーストラリアではアリーナツアー回る位にはバカ売れしているという、ある意味国民的バンドであるにも関わらず、だ。…と思って色々調べてみたけど別にイギリス・アメリカ市場でも売れてる気配無さそう。本作及び過去作品のチャート情報もオーストラリアとニュージーランドのしかない。完全にローカル特化型のバンドって事らしい。

ちなみに漫画『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズにも同名のスタンドが登場するが、当然由来はストーンズの方で、作者の荒木飛呂彦氏がこのバンドの事を知っているのかどうかは不明。多分知らないと思うけど。いやでも意外と知ってんのかなぁ。

 

オーストラリアのロックシーンってのがどうなってるのか、っていうのは正直よく分からない。確かに過去にはAC/DCAir Supplyとか、最近だとJetとか5 Seconds Of Summerなどの世界レベルで活躍するバンドを輩出してはいるものの、この手のバンドはイギリスやアメリカのシーンに照準を合わせた音楽性なので、オージー感があるかどうかって聞かれると…「?」って感じ。ただこのSticky FingersやHiatus Kaiyote、Tame ImpalaとかMen At Work(コレだけ大分先輩だけど)などを聴いてみると、実験的であれポップであれ、ある種の楽観主義的というか享楽主義というか、なんかちょっとユル〜い感じが根底にあって、これが所謂オーストラリアらしさってヤツなんだろうな、というのは何となく感じる。確かにオーストラリア、いわゆる大都会ってよりは観光地ってイメージだもんな。アメリカみたく発展しまくった文明の坩堝ってよりかは大自然との共存みたいな感じだし。色んなモノが所狭しと押し詰まる大都会から生まれる音楽もあれば、周りに(良い意味で)何もない環境から生まれる音楽もあるし、それぞれ良さがあるけれども、後者の場合は時としてあまりにぶっ飛び過ぎていたりする事もしばしば。確かにTame Impalaはめちゃめちゃサイケ・ドリームポップだし、Hiatus Kaiyoteは変態モダンフリージャズみたいだし、このSticky Fingersもまた、デビュー初期はそういった享楽性を分かりやすく反映した、とにかくアイリーな、ハッパ臭い匂いで充満したサウンドであった。

 

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2008年にシドニーで結成されたSticky Fingers(通称STIFI=スティフィ)。ボサボサの髪にモサモサの口髭、ボロボロのジーンズにヨレヨレのアロハシャツ…みたいな、60年代フラワームーヴメント期のヒッピーのような見てくれで、レゲエ・ダブを前面に押し出し、ビール瓶片手にハッパを吸いながら、煙たい部屋で思い付きでジャムった結果出来たような音楽を引っ提げてシーンに現れた。そのどこか焦点の定まらないフワフワした空気感は、Tame Impalaとは違った意味でサイケデリック(テームは妄想癖のあるオタクって感じだけど、スティフィはガチなジャンキーって感じだった)だったし、同時にローカルなオージーロック特有のユルさに満ち溢れていた。

バンドは瞬く間にオーストラリア国内で人気を獲得する。ワールドワイドに響くスケール感など皆無の強烈な密室感を持った、誰の為にも歌われないようなその音楽は、オーストラリアのローカルファンの琴線にしっかりと触れ、熱狂的な指示を得た。しかしあの強烈にドープなサウンドで熱狂しちゃうオーストラリア人の国民性って一体。同時にヨーロッパ諸国においても彼らの存在は注目を集めたそうだが、当時のセールスなど詳細なデータが手に入らなかったので、どの程だったのかは分からない。当時ヨーロッパツアーも企画されたがキャンセルされたとか。この辺面倒臭いからソース全部ウィキペディア。反省はしていない。

1st『Caress Your Soul』(2013)ではシンプルなダブレゲエで纏められたサウンドだったが、そこから僅か1年半のブランクでリリースされた2nd『Land Of Pleasure』(2014)ではそのハッパ臭さにより磨きがかかり、ビールとガンジャだけでは満足出来ない、ドラッグなどにも手を出し始めたかの如く、より奔放で、よりハイで、より過激なサイケ感を孕んだサウンドへ進化。多分この人達、サウンドがそれっぽいだけじゃなくてリアルにジャンキーだったのかなぁ、って想像してしまう位の勢い。実際に3rd『Westway (The Glitter & The Slums)』を出したすぐ後の2016年末〜2018年春先までの間、バンドは活動休止に入っているのだが、その理由がディラン・フロスト(Vo.)のアルコール依存症治療と精神面のケアの為ってのが、正直うんやっぱりね、って感じだったけど。下積みもそこまで長かったワケじゃないし、デビュー以降かなりハイペースでリリースとツアーを繰り返してたので、ここらで心身共に一度限界が来てしまったというのは想像に難くない。元々ただでさえヘルシーとは程遠い生活スタイルしてりゃ、そりゃ酒量も増えるしハッパも欲しくなるし、ヘロインとかの誘惑にも負けちゃうよね。ロックスターなんてそんなもん。

 

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さてこの活動休止期間だけど、多くのバンドが活休と謳っておきながら水面下でめっちゃ曲作り溜めたりとか、メンバーがソロ活動したりとかはよくある話だけど、このままではかつてのヒッピーよろしく堕落して終わるだけだという危機感を抱いたスティフィは、この間敢えて本当に何もせず、表舞台から一切姿を消す事を選ぶ。その後2018年の3月に活動再開発表、復活シングル「Kick On」は4月リリース、そこからワールドツアーを経て、今作『Yours To Keep』のリリースは年明けて2019年の2月。休み明けでいきなりワールドツアーってちょっと張り切り過ぎじゃない?とは思ったけれど、それくらいリフレッシュ出来たって事なんだろうし、大掛かりな事をしつつも無理しない活動サイクルっていうのが多分この辺りで出来上がってきたんだろうな。

そんな心身共にデトックスされ、活動ペースもこれまでの多忙な活動からの反省を生かし、ノビノビとした環境を手に入れたスティフィ、本作『Yours To Keep』ではそういった環境の変化が反映された、これまでの彼等とはガラッと違う質感のサウンドを鳴らしている。

分かりやすく言うならばハッパの匂いは一切しない、クスリの影響など微塵も見せない、酒の匂いどころか空瓶すら見当たらない、「どシラフ」な音。目に浮かぶのは、ヴィーガンフードをつまみに紅茶やコーヒーを嗜み、大自然に身を任せるかのような情景。時に森林浴を、時に自ら雨に打たれ、時に満点の星空を見上げながら歌われたような、まるで「生命讃歌」のような壮大さ。パッと聴くと最近のIncubusにも通じる自然体感があるが、ルーツとなるレゲエ感も目立たないながらもちゃんと曲中で生きているし、全体的なこの空間演出力などはレゲエのそれに通じる部分も感じる事が出来るが、あくまで過度な装飾を抑えたオーガニックな優しい質感で纏められており、良い意味で癖もなく、入り込みやすいサウンドに仕上がっている。

 

ある種の「老成」をも感じさせる瞬間もあるが、ハッパやドラッグ、アルコールやその他メンタルヘルス的問題からのデトックスを果たすというのは、余程の精神力が無いと出来ない事である(『トレインスポッティング』とか、多くの映画でそういうシーンが描かれてきたけど)。今作での境地に辿り着く前に、彼等、特にディランは想像し難い辛い時間を過ごしてきたのだろう。多少枯れ過ぎた感はあるかもしれないが、オーストラリアの悪ガキ衆だったスティフィは、こうしてひとつ"大人"になった、という事なのだろう。もうクスリもハッパも要らないぜ、ビールとタバコは程々に欲しいけど、ヘルシーなヴィーガンフードと美味しい空気、愛すべき大自然と仲間達、これさえ有れば何も要らない、ただ普通に生きている事がこんなに幸せだなんて…とでも言わんばかりの立ち振舞いである。相変わらず酒ヤケした声だけど、幾分か哀愁を漂わせつつもノビノビと気持ち良さそうに歌うディランの歌声と、それを支えるバンドのナチュラルなサウンドに、そんな姿を想像せざるを得ないのである。

 

まぁでも、ここから先ずっとヘルシーなまま彼等がこういうスタイルで行くとも正直思えないところはあるけれども、そこも含めてバンドの今後が楽しみだなぁと、そう感じさせる1枚である。

【好きなアルバムについて語る】Garbage - Bleed Like Me

 

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2005年リリースの、アメリカのバンドGarbageの通算4枚目のスタジオアルバム。1stアルバム『Garbage』(1995)でデビューしてからちょうど10周年の節目にリリースされている。

このバンド、2020年11月現在サブスクに上がっている作品が何故か非常に少なく、本作もSpotifyなど主要サブスクリプションサービスでは聴くことが出来ない(Deezerには何故かあるっぽい。何でや)。さっき調べたらiTunes Storeにも無いし。まぁ確かに日本国内の知名度は決して高くはないけど、ブッチ・ヴィグがドラム担当してる事もあって本国アメリカじゃバッチリ知名度も売上もあるってのに。それともこれって日本のストアだけ?海外のストアではちゃんと配信されてるの?情報求む。

 

まぁ別に、外タレが本国ではバカ売れしてるのに日本での知名度が信じられないくらい低いってのはよくある話で、特に90年代以降顕著である。逆に言えば90年代グランジオルタナ勢で日本でもちゃんと売れたのなんてRed Hot Chili PeppersNirvanaくらいで、てかそれ以外いたっけ?ってレベルなので、正直今更目クジラ立てる程のことでも無いのだけれど、この時代に好きなバンドが多い自分のようなリスナーは、やはり皆悶々としているんじゃなかろうか、といつも思っている。

ちなみに2000年代以降もこの傾向は続いていて、KornとかSlipknoTとかの分かりやすいバンドはある程度売れてるけど、正直それくらい。あとはFall Out Boyが前回の単独来日でやっとこさ武道館やってたけど。IncubusとかPanic! At The Discoとかの本国では誰でも知ってるようなビッグネームですら、日本では新木場も埋まらないという状態。

対照的にイギリス勢は90年代以降Oasisを筆頭として、その後の時代のColdplayMuseなども含め、どれもつぶ揃いにちゃんと売れている。てかThe Stone Rosesが武道館やれる位売れてるなんて知らなかったし。夏フェスへの出演頻度なども米オルタナ勢とは比べ物にならない程。英米でこれだけ差が生まれたのは、まぁ結局のところロッキングオンなどのメディアの力の入れ具合の違いとかもあると思うけど、米オルタナ勢より英ブリットポップ勢の方が総じて曲が親しみやすいっていう点も大きく影響していると思われる。日本人の感性って割とヨーロッパ寄りらしいよ、知らんけど。まぁBabymetalも最初はヨーロッパ圏で人気出たもんな。

…大分話が逸れた。

 

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Nirvanaの『Nevermind』(1991)や、Smashing Pumpkinsの『Siamese Dream』(1993)などを手掛け、スティーブ・アルビニと並び90年代を代表するプロデューサーとしての名声を獲得していたブッチ・ヴィグが、「そろそろ俺もバンドやるで!」と言って結成したバンドがGarbageである。先程上げた2枚はどちらも大ヒットし、90年代グランジオルタナティヴムーヴメントを代表する作品として数えられている為、「あのブッチ・ヴィグが組むバンドなんだから、きっとNirvana以上にガチガチなオルタナ志向なのかな?」という期待と共に注目されたが、いざフタを開けてみると、ギターよりも電子音を全面に押し出し、ちょっと打ち込みっぽいスクエアなリズム、更にそこでコケティッシュな女性シンガー、シャーリー・マンソンが歌うという、所謂グランジオルタナとは真逆のポップなサウンドであり、大衆を驚かせた。しかもブッチ・ヴィグ、担当楽器はドラムである。いやお前ドラムなんかい、と誰もが思った筈。ちなみに俺は思った。

そのサウンドは、確かにアクの強さはあるものの、当時のメインストリームと比較すると非常にポップで、しかも結成したのはあのブッチ・ヴィグという事もあって、とにかく浮いていた。だがこの「ポップ」と「とにかく浮く」という点こそが、ブッチの狙いそのものであった。

Garbageがデビューした1995年は、カート・コバーン死後の次のリーダーが求められていた時期でもあり、同時にオルタナティヴ・ロックというジャンルそのものが停滞を始めていた頃でもあった。元々は80年代アメリカのメインストリームであった商業ロックなどに対抗する(Alternative=取って代わるものという意味がある)、商業性よりも音楽的実験性やよりリアルな表現、かつてのロック・パンクが持っており80年代ヘアメタル勢が持っていない緊張感などを重視したロックとして、アンダーグラウンドから広がっていったジャンルであったオルタナティヴ・ロックは、1991年のNirvanaNevermind』とPearl Jam『Ten』のヒットによって一気に広がり、MTVを通して全米のお茶の間へ広がっていく。まぁ分かりやすく言うとモテモテのパリピ共を横目に見ながら軽蔑してた陰キャ共が、ある日を境に急にモテるようになってしまった、みたいな感じである。最初こそようやく掴んだ成功や、自分達が時代を乗っ取った優越感に浸っていたが、元々主流に逆らう為に作った音楽が主流になってしまった、反商業的スタンスで作っていた音楽が売れてしまった、というパラドックス的現実に気付き始めると、多くのアーティストが方向性に迷い始める。

「前作までの自己模倣はしない」「より反商業的に」「売れればセルアウトと叩かれ」「でもある程度売上は必要」という縛りを課された(或いは自ら課したのか)オルタナバンド達。冷静にコレ無茶振りが過ぎるとしか思えないんだけど、それでも彼等は苦悩しつつ創作に励み、Nirvanaが『In Utero』(1993)、Pearl Jamが『Vitalogy』(1994)、Nine Inch Nailsが『The Downward Spiral』(1994)、Smashing Pumpkinsが『Mellon Collie and The Infinite Sadness』(1995)などの傑作を次々とドロップ、ヒットチャートへ送り込んでいく。だがこの方法論では、アルバム2〜3枚も作ればネタ切れも起こすし、また新たなアプローチを採用しても煮詰め切れずに世に出さざるを得ない、常に変化し続ける事によって既存ファンが離れる事による売上低下の危険性や、バンドとしての着地点やアイデンティティの喪失などのリスクがある事は想像に難くなく、普通のバンドよりも自家中毒に陥るスピードが圧倒的に早くなってしまった。この自家中毒の兆候がシーン全体で少し見え始めたのがこの1995年という年で、以降オルタナは失速していく事になる。

 

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そんな風に混乱するオルタナシーンを横目に、ブッチ・ヴィグはサウンド・アティチュード双方における「オルタナティヴに対するオルタナティヴ」として、このGarbageというバンドを結成した。エレクトロサウンドに妖艶な女性ヴォーカルによるポップな楽曲は、ポップで何が悪い、商業的で何が悪い、自己模倣の何が悪い、自分達の確固たるスタイルを持っちゃいかんのか?、今やこんなバンド誰もやってないじゃないか、これこそ新たなオルタナティヴだろ? とでも言わんばかりのものであった。またこのスタイルは、シーンの混迷に今後数年先に巻き込まれる事を避ける為の予防策という側面もあったのだと思われる。

元々ブッチ・ヴィグは、スティーブ・アルビニと違ってコテコテのオルタナ主義者ではない。むしろどちらかと言うとポップ志向のプロデューサーである。前述の『Nevermind』や『Siamese Dream』も、オルタナティヴロックのアングラ性をなるべく損なわず、如何に大衆が受け止めやすいレベルまで昇華出来るか、というテーマの元プロデュースされている。後にJimmy Eat WorldGreen DayFoo Fightersなどを手掛けている辺りも、結局彼の目指している音楽が「商業性と非商業性の共存」という所であるからだ。それ故、Garbageがここまでポップに振ってきたという事実は、ブッチの理想像に忠実に接近していった結果であり、またGarbageが「オルタナティヴに対するオルタナティヴ」を体現し得たのもある意味必然とも言えた。

 

Garbageはデビュー時の音楽性を、以降多少マイナーチェンジしながらも基本的には変えず、その代わりに作品を出す毎にそのクオリティをよりブラッシュアップしていく方法論を取っている為、新規ファンにも既存ファンにも優しいバンドであり、レーベルとしても音楽性の変化が少ない分マーケティングも容易であった。90年代終盤で、世間が難解化していくオルタナに飽きてより分かりやすいニューメタルやポップパンクに走る中で、そういった層もちゃんと取りこぼさずに捕まえていった為、セールスも安定していた。

この「敢えて音楽性を変えない」スタイルにより、自分達のカラーはキープしつつ、より洗練させる事で、元々持っていた唯一無二の個性をより強烈なものへと変化させていき、その方法論の一つの到達点としての作品が、この4thアルバム『Bleed Like Me』である。

元々やってる事の基本は今までと何ら変わらないが、楽曲のキャッチーさ、及びサウンドの奥深さ双方においてより進化・深化を遂げ、リスナーにとってより飲み込みやすくなっている。それでいて初期のアクの強さは一切薄れていない。爽快なポップチューン「Run Baby Run」も、ダークなダンスナンバー「Metal Heart」なども、全てがクッキリなGarbage印。これまで聴いてきた人でも安心してとっ付き易い(逆に言えば新鮮味には多少欠けるけど)し、よりクッキリした音像と相まって元々あった中毒性も更に高まっている。

 

だが作品のクオリティの高さに対し、この頃バンド内は混乱していた。楽曲制作とその改良、リリースとツアーなどプロモーション、というサイクルを早い段階で作り上げたGarbageだったが、システムをずっと動かしっ放しでは当然ガタも来る。自転車だって定期的にオイル差してやんないとスムーズに漕げなくなってくるし。10年間休みなく、ブッチに至ってはプロデューサー業との二足の草鞋でやりながらもここまで続けてきたので、メンバーの疲弊も強まっていた。事実、本作のレコーディング中にシャーリー・マンソンが声帯を壊すという事件も発生している。コレをきっかけとしたのかしてないのか、元々疲れが溜まっていたメンバー間に徐々に緊張感が走るようになり、作業は遅々として進まなかった。何とか完成してリリースされるも、ツアーは一部日程がキャンセルされ、以降バンドは活動休止状態に突入する事となる。以降ベスト盤用にシングルを書き下ろしたりなど散発的な活動はあったが、本格的な活動再開は2012年まで待たなければならなかった。

 

【好きなアルバムについて語る】サカナクション - 834.194

 

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2019年リリース、サカナクションの通算7枚目のオリジナルアルバム。読み方は「はちさんよん、いちきゅうよん」であるが、後にその数字から「ヤミヨイクヨ(=闇夜行くよ)」という呼ばれ方もされているとか。

前作『sakanaction』(2013)から約6年ぶりの新作となる。この間にも国民的ヒットシングルとなった「新宝島」のリリースや、これまでの総決算的ベストアルバム『魚図鑑』(2018)が発売されたなどはあったが、オリジナルアルバムのリリース間隔が6年にも及ぶというのは近年の日本のメジャーシーン、特に彼らクラスのバンドにしては非常に珍しい。大体が長くても2〜3年とかだもんなぁ。

サカナクションというバンド自体は知っていたけど、曲の方はリアルタイムでシングル「アルクアラウンド」のPVを見ていた程度にしか知らなかった。今思うと何故今更彼等の音楽をちゃんと聴こうと思ったのか、そのきっかけが思い出せないのだけれど、まぁ多分「新宝島」の影響だろうなぁ、あれめっちゃ良い曲だもん。

 

前述の通り、本作は6年のブランクを経てリリースされているが、その間もシングル・マキシシングルは絶え間なくリリースを続けており、更に2018年にはベストアルバム『魚図鑑』もリリースされている。また本作はこれまでのVictor Entertainmentから、傘下内に立ち上げた自主レーベル「NF Records」からの初のアルバムとなっており、内容としては前作以降のシングル(一部はベスト盤にも収録された)を一通り網羅した上で新曲を交えたものとなっており、前述の「新宝島」も収録されている。

ただ、6年間の間にシングルとして世に出た曲(カップリング含め)の多くが収録された結果、それらがアルバムの半分近くを占めてしまう状態であり、2枚組というボリュームにも関わらず「新譜なのに新譜感があんまない」という感想はちょっと抱いてしまう。ちなみにAmazonのレビューでの低評価コメントの内容は大体これ。まぁ気持ちは分かるよ、何となく。

 

元はと言えば、山口一郎氏(Vo.Gt)と岩寺基晴氏(Gt.)の2人が地元北海道で結成した「ダッチマン」というバンドが解体・再編成される過程で生まれたユニットとしてスタートしたのが、このサカナクションである。当時は山口氏がDJをし、岩寺氏がそれに合わせてギターを即興で弾く…という(悪い言い方をすればいかにも売れなさそうな)スタイルであったそうだ。だが両名ともテクノなどの電子音楽に造詣が深く、それがバンド形態になった際のバンドサウンドと電子音のバランス感覚に生かされている。その後デュオでのスタイルでは早々に限界を迎えたのか、地元のバンド仲間を集めて現在のメンバーでのバンド形態へ発展、その後地元の大型フェスへの出演を果たし、それをきっかけに一気にメジャーデビューへの階段を駆け上がっていった…というのが、すごく雑に纏めたバンドのスタートのお話。

ちょっとポストロック臭も匂わせる所謂「下北型邦ギターロック」に、テクノなどの電子音をチャラくなり過ぎない絶妙なバランス感覚で取り入れ、それにちょっと懐かしさも感じさせるメロディーラインを乗せ、インディー的密室感をギリギリ超えない範疇の中でより多くの大衆性を掴んでいく、というアプローチで現在のサカナクションのスタイルが形作られていった。後に邦ロックシーンで爆発的に流行する4つ打ちビートも、かなり流行初期段階で取り入れていたような気がする。オリジネイターが誰かは今や分からないけど、流行らせたのはまぁ間違いなく凛として時雨だろうな。

 

本作『834.194』リリース前後、山口氏は「作為的なものと、そうでないもの」という趣旨の言葉を様々な媒体で発言していた。噛み砕かずに言えば「売れ線か、そうでないか」という事で、要するに「周囲が求める"サカナクション像"」と、「自分がアーティストとして作りたい"サカナクション像"」という2つの狭間で揺れ動き、その両立を目指す、或いは折衷地点を探していたのだと思われる。恐らく前作『sakanaction』の時点で同様の悩みは既に抱えていたのではないかと推察する。クラブミュージックやミニマルミュージックからの影響をより多面に押し出した内容の同作は、従来のサカナクションのパブリックイメージに加え、「より自身のルーツや本来のコンセプトへ回帰して、純粋にやりたい事をやりたい(山口氏は「自身のルーツはライブハウスよりクラブである」といった発言も多い)」という志向を少しでも多く取り入れようという試みも感じられた。需要と供給の間で揺れ動くというのは恐らくどのバンドも直面する問題だとは思うが、彼等もまたそういった過去の例外に漏れず悩んでいたのだろうな、というのは『834.194』に収録されたシングルからも推察出来る。前作以降にリリースされ、本作『834.194』にも収録されたシングル群の楽曲は、今まとめて聴いてみると、自身のルーツでもあるアンダーグラウンド志向と、これまでの作品群で出来上がったパブリックイメージの間を広い揺れ幅で動いている。

ただこの、所謂売れ線タイアップ曲と純粋にやりたいように作った楽曲を半々に混在させて完成したアルバム『sakanaction』、バンド史上初のオリコン1位、売上枚数20万枚、更にツアーの総動員8万人超えと、要するにバカ売れしてしまう。更にはその年の紅白歌合戦にも出場決定と、「人気バンド」から「国民的バンド」へのランクアップを一気に果たしてしまう。予想外の展開である。まぁ売れる事は確かに良い事なんだけど、元々は今までいたファンに「僕達こういう一面もあるんですよ」っていうのをプレゼンしたかっただけなのに、結果より多くの新規ファンまで獲得、より高い注目も浴びるようになってしまう。

「いやいやいやいやちょっと待ってこれはマズいよ、いやマズいわけじゃ無いんだけどさ、売れるのは嬉しいんだけどさ、ただほら、その…」

みたいな事をメンバーが言ったかどうかは知らないけれど、それに近い心境だったんじゃないかと思われる。

売上や注目度の急激な上昇は必ずしもアーティストに良い影響を及ぼすとは限らない、というのは歴史が証明しており、極端な話過去に多くの犠牲者を生み出す要因となっている。マスからの注目やレーベルからの期待の増加に比例して、プレッシャーも大きくなっていく。そうするとみんな余裕が無くなってきて、何気ない瞬間でもなんかピリピリしてくる。今まで何とも思わなかった楽屋の沈黙がやけに重い…後に山口氏も発言しているが、紅白の頃になるとバンド内の空気は非常に悪いものになっていたという。段々と曲作り作業にも悪影響を及ぼしかねない所まで行き、この状況に危機感を覚えたサカナクションは、やっと掴んだ成功を全て手放す覚悟で、レーベルからの反対も押し切って非常に内政的なシングル「グッドバイ / ユリイカ」を世に出す。ミドル・スローテンポで、尚且つ今まで以上に密室感の強いダークな質感の同2曲は、これまでのサカナクションのイメージ及び「シングルリリースに耐えうる(=売れる)曲」という範疇からも大幅に逸脱していた。かつてNirvanaが『In Utero』(1993)で、またRadioheadが『Kid A』(2000)でやろうとした事(「商業的自殺」ともいう)を、サカナクションはこのシングル1枚でやろうとしたのだった。彼等はこのリリースを「マスからのドロップアウト」と称していたが、それは自分達自身を、そして自分達のアイデンティティを守る為の、必要な選択だった。

 

その後も内外共に混迷を極めていたバンドは、当時映画『バクマン。』の劇伴と主題歌の制作が思ったより進まない事や、草刈愛美氏(Ba.)の妊娠出産なども重なった事から、ライブ活動を休止することになる。その後バンドは前述の「マスからのドロップアウト」というコンセプトに加え「マジョリティの中のマイノリティ」という立ち位置の確立の為に動くことになる。これについてインタビューなどで度々語られてはいるが、要するに「純粋にやりたい事をやれる土壌を作る」という事である。ライブを休止する事で一歩後ろに下がり、リラックスする事に成功したのか、その後の活動はよりノビノビと、かつ柔軟に行われていく。自らの理想郷を作り上げるべく、カルチャー複合型イベント「NF」を自主開催、更に自主レーベル「NF Records」の設立など、サカナクションはよりクリエイティヴな方向へ向かってアクティヴに進んでいく。そしてNF Records第一弾リリースとして、映画『バクマン。』主題歌「新宝島」を発表。これがブレイクスルーとなり、またこの曲で、「マジョリティの中のマイノリティ」という立ち位置をより明確化する事にも成功する。その後ベスト盤リリースを挟みつつ、既に手広く展開していたNFなどの様々な活動により説得力を持たせる為にも、改めてニューアルバムの制作に着手、マイペースにコツコツとアルバム制作は進み、発売延期が一度あったものの2019年6月19日にようやくニューアルバム『834.194』が世に出たのであった。

 

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タイトルの『834.194』という数字の意味は、サカナクションが北海道で活動していた時に利用していた「スタジオ・ビーポップ」と、現在利用している東京の「青葉台スタジオ」の直線距離(834.194km)が由来で、地元札幌と現在いる東京の物理的距離と、サカナクションを始めた時と現在の音楽的な景色の変化を例えている。

大まかに言うと、親しみやすい"サカナクションらしい"楽曲をDisc1に、より実験的・内省的な楽曲をDisc2に配置している。両ディスクの最後には、ダッチマン時代に作られた「セプテンバー」という楽曲が、アレンジ違いでそれぞれ収録されている。

キャッチーなシングル曲を中心に1曲1曲が際立ったDisc1と、内省的なカラーの曲達がお互い溶け合うような絶妙なコラージュを描くDisc2といった具合に、ハッキリとコントラストが分かれている。この方法はベスト盤『魚図鑑』でも実践されていたもの。2枚分を連続で通して聴くと、明るい前半からまるで斜陽の如く暗くなっていき、最後に再び夜明けが訪れるようなグラデーションを描いているのが分かる。

その夜明けの先にあったのは、自らの原点、音楽を始めた時の初期衝動であり、「セプテンバー -札幌 version-」の荒削りなアレンジが、そのメタファーとして表現されている。

 

…とは言うものの、Disc1、2共に新曲群なども含めて、音楽的に従来と何かが大きく変わったのか、と言われれば、ぶっちゃけそこまででもない。けれども「歌」や「言葉」への重きが前作とは違って聴こえる瞬間が多い。「忘れられないの」「マッチとピーナッツ」などで見せたシティポップへの目配せも、元来サカナクションのメロディラインの持つ「昭和歌謡っぽいちょっと懐かしい感じ」によりフォーカスを当てた結果出てきたものだと思われる。これについては、「グッドバイ」をリリースした時に山口氏が「純粋に歌を聴いて欲しかった」と語っており、こういったマインドの変化も後の曲作りに反映されているのではないかと推測。

まぁでも、結局のところ色々考えると、「グッドバイ」以降の山口氏の抱えていた悩みって、すごく雑に言うと「ちょっと考え過ぎた」だけだったのかもしれない。結果的にセールスは波があったとは言え及第点は余裕でクリアしてるし、現在では従来のサカナクションのフォーマットから外れた楽曲でもマスに訴えかける力は全く失われていないし、ファンも付いてきてくれている。今作の売上も、前作は上回れないながらも現時点で10万枚は超えている(最も、サブスクが前と今では普及度が全然違うので、正直CDの売上枚数ってアテにならない感はあるけれど)。ただ「好きな事やってもみんな付いてきてくれる」という手応えが欲しかった、それ故の活動の多角化だったんだろうし、その手応えが得られたっていう確信が本作制作時のメンバーの精神面にかなりポジティブな影響を与えているのは間違いないと思う。

 

最終的に1周回って戻ってきた感は若干あるが、マインド面では全然違う状態で作られる、よりフレッシュなサカナクションらしいアルバムとなった。

「色々ありまして、今これだけの事が出来ます」っていう暫定座標記録と、「これからとにかく好きな事ガンガンやっていきます」という今後への決意表明という2つの側面を持った作品が、この『834.194』である、っていうのが、このアルバムに対する自分の今の結論である。

 

 

【好きなアルバムについて語る】Enter Shikari - Nothing is True & Everything is Possible

 

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2020年リリース、英国発"レイヴコア"バンド、Enter Shikariの通算6枚目のアルバム。

新型コロナウイルスの世界的流行の真っ只中である4月にリリースされた。当然ながらツアーなど出来るはずもなく、2020年10月現在、本作の収録曲は未だライブで演奏はされていない。

前作『The Spark』(2017)からおよそ2年半ぶり。2019年にリリースされたシングル「Stop The Clocks」は収録されていない。前作ではレトロフューチャーなデザインのコンピュータの様なマシンがアイコンとして使われていた(ステージで実際にシンセサイザーとして演奏に使われている)が、本作ではアイコンとしてジャケットにも採用されているミケランジェロ風(?)な石像が使われている。これどっかで見た事あんだけど何だっけ?思い出せそうで思い出せない。あぁ歯痒い…。

 

2000年代中盤以降のイギリスやアメリカのアンダーグラウンドでは、従来のスクリーモをよりヘヴィに、メタリックかつシャープに発展させた音楽が、ポスト・ハードコア或いはメタルコアという呼称で市民権を得つつあった。そこにレイヴまたはクラブミュージック由来のエレクトロサウンドを半ば強引にぶち込み、"レイヴコア"と名乗り、同ジャンルの英国での第一人者として2007年に1stアルバム『Take To The Skies』で鮮烈なデビューを飾ったのがEnter Shikariだった。ちなみにその翌年である2008年、大西洋を挟んでアメリカではAttack Attack!がクラブミュージックとメタルコアを融合し『Someday Came Suddenly』を引っ提げデビュー、同ジャンルの第一人者としてシーンを作っていく事になる。

 

Enter ShikariもAttack Attack!も、そのちょっと後に出てきたWoe, Is Meとかもそうだったけど、元はMySpaceなどに上げた音源が大衆或いは大手レーベルの目に止まってデビューしていったのだが、この経緯、色んな意味で時代を感じる。今思えば本当に一瞬だったけど「ホットなバンドを見つけたければMySpaceをディグれ」みたいな風潮があったのだ。今じゃ誰も見ちゃいないけどね。

彼等の登場によって、同じようにエレクトロサウンドと融合を果たしたメタルコアバンドが英米だけでなく様々な国から登場してシーンに大量に溢れかえり、その勢いのまま、手始めに当時ポップパンクや初期スクリーモの祭典だったWarped TourとDownload Festivalを徐々に侵食、新しいもの好きのキッズを片っ端から取り込み、インターネットの拡散力も借りて世界規模に名前を轟かせていく。

ちなみにこの流行は日本にもすぐ波及し、Fear, and Loathing in Las VegasCrossfaithなどが"ピコリーモ"などと呼ばれ注目を浴びるようになり、激ロックなどのメディアがインフルエンサーとなり日本のライブハウスシーンにも多量のフォロワーを生んだ。

 

メタル又はポストハードコアに電子音を合わせるというアイデア自体は既にあったけど、どれもシンフォニックかゴシック、或いはインダストリアルなものといった、硬派な志向であるものが殆どであった。そんな中でクラブシーンやレイヴカルチャー由来のダンサブルなエレクトロを導入した彼等の登場は、今まで頭振ってモッシュする為のメタルに「飛び跳ねる」「踊る」と言った要素が初めて入ってきた瞬間でもあった。そこには従来のメタルにあった悪魔崇拝やら宗教観などの小難しい世界観は一切無く「とりあえず何も考えなくて良いから暴れて踊っとけ」という分かり易さ(正直頭の悪そうな感は否めなかったが)もあって、新しいもの好きのキッズにはバカ受けした。ただその一方で、従来メタルの(ある種の取っ付き辛さから来たものだろうけど)孤高性なども一切無かった為、コアな(保守的な)メタルファンからはかなり冷ややかな目で見られていたとは思われる。分かんないこれも俺の周りが当時そうだっただけだけど。逆にメタルはDragonForceかArch Enemyくらいしか知りません程度の人にはすごくウケてた。

 

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しかし、流行るスピードが速いと飽きられるスピードも速くなる。ましてやメタルコアもクラブ・レイヴミュージックもそこまで拡張性が広い音楽ジャンルではなかった為、多くのバンドが拡大再生産のループから抜け出せずマンネリ化、キッズからも次第に飽きられていく。確かにこの手の音楽は流行り始めから泡沫ジャンルだっていう陰口はずっと言われ続けていたけど、だって正直この手のバンドって、ザクザクズンズンしたブレイクダウンにデスボイス、サビはクリーンメロディにチャラい電子音ってお決まりのパターンで結局それだけなんだもん。中にはSkrillexの影響でダブステップを取り入れて新機軸と銘打ったバンドもいたにはいたが結局そこまでで、音楽的行き詰まり或いは創造性の不一致からそのまま解散、良くて空中分解、或いは誰にも知られずにフェードアウトしていくバンドも少なくなかった(そう考えるとEskimo Callboyってすげぇな。一生あのまんまだもんな)。かつてオリジナイターとして散々持てはやされたAttack Attack!も、相次ぐメンバー脱退の後に2014年にひっそりと解散という、何とも虚しい最期を迎えている。当時出てきて現在も生き残っているバンドの多くは、最終的にチャラいエレクトロを捨てて、より硬派なモダンハードコア色を強めていくか、他ジャンルとの折衷地点を求めるなどして、シーンの変化に適応していった。

 

一方シカリはというと、同じように泡沫バンドかと誰もが言う中、そんなメタルコアシーンなどほぼ完全知らんぷりな方向へ進んでいく。元々純粋なヘヴィさでもチャラさでもアメリカ勢には負けていた(1st『Take To The Skies』もやってる事の基本は間違いなくメタルコアだけど、プロダクションの影響かアメリカ勢より軽く聴こえる)ので、ここで勝負しても勝てないと早い段階で判断したのか、バンドサウンド面では逆にインディー・ローファイ的なハードコア・パンクスタイルへ接近、エレクトロ面では分かりやすいピコピコ感を抑えてよりアンダーグラウンドなレイヴ感を強めていく。また更にラップやスポークンワード、ドラムンベースなどの新たな音楽的要素を片っ端から取り込む貪欲性を武器に、アメリカ勢には無い実験性と、インディーロック的密室感も取り入れた独自の路線へと進んでいった。

そしてイギリス・アメリカ共にエレクトロニコアムーブメントがほぼ終結した2015年に発表したアルバム『The Mindsweep』で、これまで突き詰めてきたシカリ型エレクトロニコアの完成形として帰結。どこかサークル的ノリだった密室型ポストハードコアからの脱却、SF的壮大さを持ったサウンドスケープと疾走感溢れる曲調、プログレッシブな曲構成などで、他のエレクトロニコアバンドとの格の違いを見せつけると同時に、ロックシーンでも唯一無二の個性を持ったバンドとして、不動の地位を確立する事となった(個人的にもこのアルバムはシカリの最高傑作だと思っている)。ちなみにBring Me The Horizonが名作『That's The Spirit』を出したのも2015年。更にWhile She Sleepsの『Brainwashed』、Young Gunsの『Ones And Zeroes』や、あとDon Brocoの『Automatic』もこの年かぁ。個人的に2015年ポストハードコアシーンは結構豊作だったな、今思えば。

 

だが、『The Mindsweep』で1つの到達点に辿り着いたシカリ、独自路線探究の旅はまだまだ終わらなかった。翌2016年にThe Mindsweepの方法論に、よりシンプルなポップさを加えて作られたシングル「Redshift」で手応えを掴んだ彼等は、デビュー10周年となる2017年にリリースした『The Spark』で、レイヴ色・ポストハードコア色共々一気に薄め、『The Mindsweep』でも一部取り入れていたデジタル・アンビエントシューゲイザー的空間演出をより強調、今まで以上に親しみやすいメロディと歌を全面に押し出した、非常にポップな1枚として仕上げてきたのだ。まるで「2000年代半ばくらいのColdplayを完全デジタルで再現してみました」と言わんばかりの空気感を持ったサウンドに当初は非常に驚かされた記憶がある。

アグレッレションもエグみも捨てた、新たな境地を求めて制作された『The Spark』は、従来からあまりにガラッと変わった音楽性にも関わらず評論家・ファンからも非常に好評で、今後のEnter Shikariの音楽によりタイムレスかつ、より多くの層への訴求力を抱かせるきっかけとなった。乱痴気なレイヴサウンドや激しいスクリームなどの飛び道具に頼らなくても、美しいメロディラインと自分たちなりに追求したポップさだけで十分以上に勝負出来る、そして今後10年20年経過しても劣化しない音楽を"Enter Shikari"として作る事が出来るという手応えは、バンドにより自信を与えていく。特にルー・レイノルズ(Vo.)は、それまで自分の声を1つの楽器のように捉え、変幻自在にスクリームやラップ、スポークンワードなどをメインに出していた歌唱法から、「歌を歌としてしっかり歌い上げる」スタイルへとシフトした事で、今までありそうで無かった「王道なボーカリスト」としての一面を出す事にも成功した。若気の至り全開の、いかにも頭の悪そうなガキンチョ4人衆だったEnter Shikariは、エレクトロニコアのオリジネイターとしてだけでなく、気付けばイギリスを代表するビッグネームとしてシーンに君臨する存在となったのだった。

 

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さてさて、そんな歴史を歩んできたシカリの2020年の最新作『Nothing Is True & Everything Is Possible』だが、良い意味で前2作と比べても荒削りな作品である。

『The Mindsweep』『The Spark』両方とも明確なコンセプトがあって、それを忠実に再現すべく細部までしっかり拘った作りだったが、本作は敢えてコンセプトやトータルの完成度よりも(勿論大事にはしてるんだけど)、より衝動性を重視した、言わば「今の俺達が作る『Take To The Skies』ってどんな感じなのかな?」というテーマで制作されたような質感である。『The Spark』で掴んだメロディを生かす為の空間演出的アレンジと、『The Mindsweep』以前のアグレッションやダークな雰囲気の双方を、やや歪なバランスながら上手く楽曲中に落とし込み、よりサイバティックな音像を作り上げている。

またインタールード的楽曲を多く用いる事でアルバム全体をシームレスに繋げ、同時により多彩なカラーを与えている。この辺りはThe 1975辺りからのインスパイアもあるのだろうか、なんて想像してみたり。アルバム全体を見渡すと前作での洗練された感は無いが、「この先何十年も残る"Enter Shikariの音楽"とはどのようなものか?」という彼等の飽くなき音楽的探究の旅が、ここでまた新たなフェイズに移行した事を表現するアルバムとなった。前身バンド結成から21年、現体制になって17年という実はすごくキャリアも長く、音楽性もどんどん変わっていく彼等(ファッションのセンスだけは相変わらずである)だけど、"Enter Shikari"という名前に込めた意味…「外へ飛び出し、自らの手で望む物を手に入れろ」、それは未だブレていない。

 

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3rd『A Flash Flood Of Colour』(2012)辺りから、なんとなく目つきが変わってきたなぁという印象はあったのだけれど、作品を追う毎にその目つきが鋭くなってきている感あるEnter Shikari。本作もその鋭い目つきで我々に何かを訴え続けている。

デビュー当初は頭の悪いハナタレ小僧が悪ノリ的に作った音楽がたまたまバズってしまった、みたいな感じのバンドだったけど、作品を追う毎にその音に知性を感じさせるようになっており、ある瞬間からこの世の全てを悟ったかのような顔つきで聴き手に迫るような音楽を作るようになった。不気味なんだけど妙に説得力あって、ずっと聴き入っちゃって、最終的には気付いたらカルトの一員になってしまっているかのような、そんな不思議な引力も持ち合わせるまでに至った。原色を多用した、まるでフリー素材を切り貼りしただけのような、一見するとダサい本作のジャケットも、音を聴いた後は非常に複雑なアートに見えてしまうから不思議なものである。

【好きなアルバムについて語る】The Beatles - The Beatles (White Album)

 

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1968年リリース、The Beatles通算10作目のフルアルバム。

真っ白なジャケットにエンボス加工でバンド名が書かれただけの、もはやシンプルとかを通り越して何の意図も無いアルバムジャケット、ジャケットだけでなくサウンド面でも前作までのサイケデリック色が完全消失した事や、バンド史上初(結果的にフルアルバムとしては唯一。ちなみにマジカル・ミステリー・ツアーの一番最初のイギリス盤のやつは2枚組EPだったりするけど。あ、コレ余談ね)の2枚組アルバムという点も、今作が彼等のディスコグラフィに於いて特徴的な所以だったりする。一応正式タイトルは『The Beatles』って立派なセルフタイトル作なんだけど、「ホワイトアルバム」っていう通称が浸透し過ぎてて、もはや正式タイトルで呼んでる人など誰もいない。

 

68年って一応サイケデリック全盛の時代だし、ビートルズとしてもコレの1年前にあの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967)という、ジャケットから中身までコテコテにサイケなアルバム出していたし、何ならこれ作るちょっと前もサイケなノリの映画『Magical Mystery Tour』(1967)を作ったりとかしてたのに、たった1年でのこの突然の心変わりは一体。以下に記すが色々思い当たる理由はあるが、結局のところ真意は未だに謎である。

個人的な話だが、「多彩な方向性の楽曲が多数揃ってて捨て曲も特に無いけど、全体としては纏まりに欠けるアルバム」の事をよく「ホワイトアルバム的な」って言ったりしてる。個人的にだけど。例えばTodd Rundgrenの『Something Anything?』(1972)とか。

 

1965年頃、それこそアルバム『Rubber Soul』を作った辺りから、ビートルズは初期の「分かりやすいラブソングをポップに鳴らすアイドルバンド」的立ち位置からの脱却を試み始める。それと同時にこの辺りから、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴそれぞれの音楽的・人間的個性というのも少しずつ際立ち始め、「あくまでポップスに拘るポール、より内省的な世界観を描くジョン、皮肉屋のジョージ、平和の象徴リンゴ」というようなキャラが少しずつ形作られていった。

この様な脱アイドル化とアート面の更なる深化を志向したのは、プライベートでのドラッグ体験やボブ・ディランからのインスパイア(これは特にジョンに関してだけど)などもあっただろうけど、結局のところはルーティンワークと化したツアー活動への嫌気から。だって当時の音響設備では5万人の女の子の熱狂に勝てる音量なんか出せるわけもなく、更にモニターなんて便利なものなんてもっと無いわけで、結果何が起こったかと言うと、ステージに立って演奏してても、全てファンの泣き叫び声に掻き消され自分達の音なんか殆ど聞こえないような状態になってしまうという、現代ではにわかに信じがたい環境下に置かれていたという。最初こそちゃんとリハーサルもして、そんな過酷な状況下でも必死にアイコンタクトして縦もしっかり揃えて、各々ミスもしない、ハモりも外さないというクオリティの演奏が出来ていたけど、そんな見事な演奏も客席の連中はキャーキャー叫んでるか、ステージに向かって突撃しては警備員に捕まっているか、中には叫び過ぎて失神してる奴とか、まぁ要するに誰も聴いていないワケで。そんな中ではせっかく作った新曲もセトリに入れる気も失せるし、中音も外音もろくに聴こえない環境で演奏したってスキルアップや新たなノウハウを掴むなど出来る筈もないワケで。…ってそんなツアー活動を結局デビューから4年間も続けたんだから、彼等の忍耐強さって相当だったんだと思う。

 

ツアーではそんな一方で、スタジオ内では4トラックレコーダーを2台同期させる事に成功。よりレコーディングで出来る事が広がっていく。今まで一発録りの流れ作業だったレコーディングが、リテイクが容易になった事、オーバーダビングで録れる音の種類も質も一気に上がった事で、より細部に拘った作業が可能になった。この頃辺りから「未発表テイク」の量が増え始めていき、これらは多くが後に海賊盤として世に出回る事になる。8トラックでのレコーディングという過去最高に優れた環境を手に入れた事によって、バンドの拘りや好奇心はどんどんエスカレート、リテイクの繰り返しだけでは飽き足らず、「こんな楽器使ってみようぜ」「こんな音入れてみない?」「ちょっと複雑なハモリとかやってみよう」「てかこの曲ギターいる?」「なんか逆再生してみたらめっちゃサイケ!やば!」などと、当時としては前代未聞のアイデアが湧き水の如く溢れ出ていき、遂にはツインギター4ピースバンドが生演奏で再現出来る限界をあっという間に飛び超え、1965年に『Rubber Soul』、1966年の『Revolver』という作品を生み出してしまう。ジョージはインド文化へ傾倒する勢いそのままにシタールやタブラを取り出し、ジョンはテープの逆再生を利用したギターソロを採用、ポールは弦楽四重奏の曲を作ったりするなど、もはややりたい放題(多分このテンションの上がり方はLSDの影響もあったのかなぁ)。従来通り通常営業だったのはリンゴだけだった。

「これ以上音を重ねたらライブはどうするんだ!?」

…メンバー内、或いは外部の人間から絶対こんな意見が出ていたに違いない。かのブライアン・エプスタインもきっとそう思っていたに違いないが、「でもあの聴衆を見てみろよ、誰も俺達の演奏なんかまともに聴いてないじゃないか」とメンバーに反論されては、返す言葉も無かった。それに若手時代からまるで親のように彼等を見守ってきたエプスタインとしても、疲弊しきっているツアー時とは別人のようにイキイキしている4人を見ているのもそれはそれで楽しい…って具合にちょっとモヤッとはしていたんじゃないかなぁ。一方プロデューサーのジョージ・マーティンは、ライブなんて自身の管轄外だから全く関係ないので、「良いぞもっとやれ」と積極的にバンドのスタジオワークを後押ししていたんだろうな、多分。てか絶対そう。だって「ダライ・ラマが山頂で説法してる風な声が出したいんだけど」っていうジョンの意味不明な無茶振りに対して「じゃあレズリースピーカー通せばええんちゃう?」って返しどうやったら思いつくんだよって話。

 

そして1966年の日本武道館でのライブで、初めて静かな聴衆を前に演奏したことで、自分達の演奏力の低下を痛感、その後のフィリピンツアーでもゴタゴタや、そしてかの有名なジョンの「キリスト発言」がアメリカで大炎上した事へのフラストレーションなどもあって、兼ねてから抱いていたツアーへの不満が限界に達したビートルズは、同年のキャンドルスティックパーク公演(アメリカ)を最後に、遂に人前で演奏する事をやめる。

その後「これからはターンテーブルが俺達のステージだ」と言わんばかりに、バンドは曲作りとレコーディングに打ち込んでいく。LSDマリファナにも後押しされた格好で、彼等のインスピレーションは止まる事を知らず、1967年リリースの、世界初のコンセプトアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』で1つの頂点を迎える。スウィートなラブソングを奏でるマッシュルームカットのアイドルバンドとして現れたビートルズは、たった数年のうちに、無精髭に丸メガネ、ボサボサ髪の一流アーティスト集団へと変貌を遂げたのだった。

 

ところがその暫く後、マネージャーのブライアン・エプスタインが急死(真相は半世紀以上経った今でも謎に包まれている)。リバプール出身の4人の田舎者を世界的スターにのし上げた仕掛人としてだけでなく、メンバーの精神的支柱でもあったエプスタインの死は彼等に大きなショックを与える。『Sgt. Pepper's〜』の成功から来る達成感か、メンバーそれぞれがソロワーク(ジョージはソロアルバムを作り、ポールは映画音楽を手掛け、リンゴは俳優業を始め、ジョンはヨーコと出逢う)に手をつけ始めていたりしていた中での緊急事態だった為、メンバーの結束が緩む事を危惧したポールが主導となって完全自主制作映画『Magical Mystery Tour』を企画・制作するも大ゴケ。ツアーを辞めてやっと自由な時間を手にしたばかりのタイミングで訪れた突然の悲劇と、その後立ち直りを目指した企画の失敗などで、バンドは内外ともに混乱していく。一度頭の中を全てフラットに戻す為、そして同時に彼等を蝕んでいたLSDなどのサイケデリック・ドラッグからのデトックスも目指し、バンドはマハリシ・マヘシ・ヨギの元で瞑想修行をする為インドへ渡る。まぁここでも結局何やら色々あったらしいけど、結果的には心身共にスッキリした上でイギリスへ戻り、インドで修行の合間にメンバー各々が作った楽曲群を一気にレコーディングして出来上がったのが、今回ご紹介する『The Beatles』、通称ホワイトアルバムである。うわっ前フリ長っ。

 

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さて、インドでの瞑想修行の末、各々ある程度はスッキリして、また修行の合間で息抜き的に作った曲も手土産に、ビートルズはイギリスへ帰ってくる。

この時メンバー全員分合わせて既に40曲以上が出来上がっており、スタジオ前に一旦ジョージの家でこれらを整理、最終的に26曲に絞られた上でデモテープが制作された。この時のデモテープは後に「イーシャー・デモ」と呼ばれ、海賊盤やアンソロジー、記念リイシュー盤ボートラなどで世に出ている。

この26曲を引っ提げてスタジオ入りし、後にまた更に新曲を加えたりして最終的に30曲以上が完パケする。多くはやはり瞑想の成果か、これまでのサイケ色は完全に消え去り、よりシンプルかつオーガニックな、バンドサウンド中心のサウンドに変化した。過度なオーバーダビングやエフェクトなども殆ど登場しない。中には「Revolution 9」のような前衛音楽など実験的な曲もあるものの、概ね非常に風通しの良い、スッキリしたサウンドでアルバムカラーは統一されている。こうして結果的に「脱サイケ」化した理由としては、前述の瞑想により心身共にデトックスした結果か、或いはインドに赴いた際に手元にあったのがアコギしか無く(あ、でもピアノくらいはあったのかなぁ)、自宅ならすぐ近くにスタジオがあったけどマハリシの施設の近くにそんなもの無いし…という状況も無関係では無かったと思われる。

 

みんないっぱい曲作ったし、いっぱいレコーディングしたなぁ、しかもどれも良い曲ばっかだし…

…とここで気付く。「あれ、曲多くね?」

ジョージ・マーティンも一言「うん、曲多過ぎるよ。1枚分に削らないと」

じゃあここからどう絞って纏めていこう…となったところで、どういうわけか意見が全く纏まらない。

それもそのはず、40曲作ったと言っても、殆どの曲はメンバーそれぞれ1人の作業で完結しており、作曲:レノン=マッカートニーとクレジットされた曲も、実際は共作など殆どしていなかった。2人が共作しなくなったのは別にかなり前からだけど、この頃になるとそれぞれの個性やエゴが際立ち過ぎて、もはや共作しようにも相容れなくなってしまっていた。ジョージもジョージで、軸は定まらないし数も少ないものの今まで以上に型から抜け出した曲を多く出していたし、リンゴもマイペースにコツコツ作っていた「Don't Pass Me By」を初の自作曲としてアルバムに提供し、相変わらず控えめながらもようやくバンド内で明確な自己主張をし始めていた。

ジョージはアンソロジーでのインタビューで、「当時のビートルズは多くのエゴが渦巻いていて、曲を削るに削れなかった」といった趣旨の発言をしている。結局レコーディングも、蓋を開けてみればメンバー全員が参加した曲は意外と少ない。スタジオに籠りっきりで多重録音に熟れ過ぎていたし、おまけにいよいよ本格的な8トラックレコーダーが導入されたりした結果、もはや自分で演奏出来る部分は自分でやっちゃうよね、という結論に至ってしまっていたのだ。誰かに弾いてもらうにしても「ここ後でソロ入れといて〜譜面に起こしてあるから〜」程度のディスカッションしかしなくなっていく(そんな事やってっから当時リンゴが一時的にバンド離脱しちゃったりしてね)

それに、そもそも各自の曲作りの段階でアルバム制作までは想定しておらず、ただ気晴らしにギター爪弾きフフンと鼻歌で作った曲達に統一性などある筈も無かった。

だから「この曲は外していいんじゃない?」なんて軽はずみにでも言った際には、その曲を作った人間から猛反発を食らうか、「じゃあお前のその曲も外せよ!」みたいな喧嘩に発展しかねない空気に。ああでもない、こうでもない…4人全員がお互い譲らず、ジョージ・マーティンも交えて話し合う中、最終的には「もう全部入れちゃわない?2枚組とかにしちゃってさ」と誰かが言ったのか、LP2枚組、全30曲収録という、とんでもないボリュームで本作は世に放たれたのであった。

 

真っ白なジャケットにサイケ色の一切ないシンプルなサウンドは、当時フラワームーブメント真っ只中だった時代に於いては殊更特徴的で、まるで全員酔っ払った大宴会の席で1人だけシラフでいるようなものだった。

多彩過ぎるが故に統一性に欠けると評される楽曲群も、だからこそジャケットを真っ白にしてセルフタイトルを冠したと考えれば、「特にテーマもコンセプトも無いアルバムです。これが今の"ザ・ビートルズ"です。」という「テーマ」で纏まっていると捉えられる。

 

解散後のそれぞれの路線への布石と見る事も出来るし、即ちこの時誰も気付かないうちに既にビートルズは解散へと向かっていた、とする意見もある。

この頃のビートルズApple Corps立ち上げなど新しい取り組みも幾つか始めていたが、肝心のメンバーが見てる方向全員バラバラではいかん、と危機感を募らせたポールは、再びバンドを団結させる為に、原点回帰的なライブ一発録りアルバム『Get Back』を企画する。だが時既に遅かったのかタイミングが悪かったのか、後にこの「ゲット・バック・セッション」は悪夢として語り継がれる程メンバー間の関係を悪化させ、アルバムは一旦お蔵入りになる(後にフィル・スペクターの手により『Let It Be』として完成)。修復不可能な程に亀裂の入ったビートルズは、その後「解散」を視野に入れた上で『Abbey Road』(1969)へと着手していくのであった。

 

余談だが、ビートルズが解散した1970年、ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンなど当時のシーンを牽引していたアーティスト達が続々とこの世を去り、その前年にはローリング・ストーンズの「オルタモントの悲劇」など、様々な不幸によってフラワームーブメントは急速的に萎んでいく事となる。世間より一足早くサイケ文化から抜け出したビートルズが、あくまで結果論ではあるが、自身の解散を以てフラワームーブメント及び「1960年代」という時代の幕引きの一役を担った、という風に捉えるのは考え過ぎだろうか。