A Confession of a ROCK DRUMMER

KenKenという太鼓叩きの独り言。

【好きなアルバムについて語る】Garbage - Bleed Like Me

 

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2005年リリースの、アメリカのバンドGarbageの通算4枚目のスタジオアルバム。1stアルバム『Garbage』(1995)でデビューしてからちょうど10周年の節目にリリースされている。

このバンド、2020年11月現在サブスクに上がっている作品が何故か非常に少なく、本作もSpotifyなど主要サブスクリプションサービスでは聴くことが出来ない(Deezerには何故かあるっぽい。何でや)(※2021年6月追加:7thアルバム『No Gods No Masters』リリースとほぼ同時にサブスク解禁)。さっき調べたらiTunes Storeにも無いし。まぁ確かに日本国内の知名度は決して高くはないけど、ブッチ・ヴィグがドラム担当してる事もあって本国アメリカじゃバッチリ知名度も売上もあるってのに。それともこれって日本のストアだけ?海外のストアではちゃんと配信されてるの?情報求む。

 

まぁ別に、外タレが本国ではバカ売れしてるのに日本での知名度が信じられないくらい低いってのはよくある話で、特に90年代以降顕著である。逆に言えば90年代グランジオルタナ勢で日本でもちゃんと売れたのなんてRed Hot Chili PeppersNirvanaくらいで、てかそれ以外いたっけ?ってレベルなので、正直今更目クジラ立てる程のことでも無いのだけれど、この時代に好きなバンドが多い自分のようなリスナーは、やはり皆悶々としているんじゃなかろうか、といつも思っている。

ちなみに2000年代以降もこの傾向は続いていて、KornとかSlipknoTとかの分かりやすいバンドはある程度売れてるけど、正直それくらい。あとはFall Out Boyが前回の単独来日でやっとこさ武道館やってたけど。IncubusとかPanic! At The Discoとかの本国では誰でも知ってるようなビッグネームですら、日本では新木場も埋まらないという状態。

対照的にイギリス勢は90年代以降Oasisを筆頭として、その後の時代のColdplayMuseなども含め、どれもつぶ揃いにちゃんと売れている。てかThe Stone Rosesが武道館やれる位売れてるなんて知らなかったし。夏フェスへの出演頻度なども米オルタナ勢とは比べ物にならない程。英米でこれだけ差が生まれたのは、まぁ結局のところロッキングオンなどのメディアの力の入れ具合の違いとかもあると思うけど、米オルタナ勢より英ブリットポップ勢の方が総じて曲が親しみやすいっていう点も大きく影響していると思われる。日本人の感性って割とヨーロッパ寄りらしいよ、知らんけど。まぁBabymetalも最初はヨーロッパ圏で人気出たもんな。

…大分話が逸れた。

 

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Nirvanaの『Nevermind』(1991)や、Smashing Pumpkinsの『Siamese Dream』(1993)などを手掛け、スティーブ・アルビニと並び90年代を代表するプロデューサーとしての名声を獲得していたブッチ・ヴィグが、「そろそろ俺もバンドやるで!」と言って結成したバンドがGarbageである。先程上げた2枚はどちらも大ヒットし、90年代グランジオルタナティヴムーヴメントを代表する作品として数えられている為、「あのブッチ・ヴィグが組むバンドなんだから、きっとNirvana以上にガチガチなオルタナ志向なのかな?」という期待と共に注目されたが、いざフタを開けてみると、ギターよりも電子音を全面に押し出し、ちょっと打ち込みっぽいスクエアなリズム、更にそこでコケティッシュな女性シンガー、シャーリー・マンソンが歌うという、所謂グランジオルタナとは真逆のポップなサウンドであり、大衆を驚かせた。しかもブッチ・ヴィグ、担当楽器はドラムである。いやお前ドラムなんかい、と誰もが思った筈。ちなみに俺は思った。

そのサウンドは、確かにアクの強さはあるものの、当時のメインストリームと比較すると非常にポップで、しかも結成したのはあのブッチ・ヴィグという事もあって、とにかく浮いていた。だがこの「ポップ」と「とにかく浮く」という点こそが、ブッチの狙いそのものであった。

Garbageがデビューした1995年は、カート・コバーン死後の次のリーダーが求められていた時期でもあり、同時にオルタナティヴ・ロックというジャンルそのものが停滞を始めていた頃でもあった。元々は80年代アメリカのメインストリームであった商業ロックなどに対抗する(Alternative=取って代わるものという意味がある)、商業性よりも音楽的実験性やよりリアルな表現、かつてのロック・パンクが持っており80年代ヘアメタル勢が持っていない緊張感などを重視したロックとして、アンダーグラウンドから広がっていったジャンルであったオルタナティヴ・ロックは、1991年のNirvanaNevermind』とPearl Jam『Ten』のヒットによって一気に広がり、MTVを通して全米のお茶の間へ広がっていく。まぁ分かりやすく言うとモテモテのパリピ共を横目に見ながら軽蔑してた陰キャ共が、ある日を境に急にモテるようになってしまった、みたいな感じである。最初こそようやく掴んだ成功や、自分達が時代を乗っ取った優越感に浸っていたが、元々主流に逆らう為に作った音楽が主流になってしまった、反商業的スタンスで作っていた音楽が売れてしまった、というパラドックス的現実に気付き始めると、多くのアーティストが方向性に迷い始める。

「前作までの自己模倣はしない」「より反商業的に」「売れればセルアウトと叩かれ」「でもある程度売上は必要」という縛りを課された(或いは自ら課したのか)オルタナバンド達。冷静にコレ無茶振りが過ぎるとしか思えないんだけど、それでも彼等は苦悩しつつ創作に励み、Nirvanaが『In Utero』(1993)、Pearl Jamが『Vitalogy』(1994)、Nine Inch Nailsが『The Downward Spiral』(1994)、Smashing Pumpkinsが『Mellon Collie and The Infinite Sadness』(1995)などの傑作を次々とドロップ、ヒットチャートへ送り込んでいく。だがこの方法論では、アルバム2〜3枚も作ればネタ切れも起こすし、また新たなアプローチを採用しても煮詰め切れずに世に出さざるを得ない、常に変化し続ける事によって既存ファンが離れる事による売上低下の危険性や、バンドとしての着地点やアイデンティティの喪失などのリスクがある事は想像に難くなく、普通のバンドよりも自家中毒に陥るスピードが圧倒的に早くなってしまった。この自家中毒の兆候がシーン全体で少し見え始めたのがこの1995年という年で、以降オルタナは失速していく事になる。

 

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そんな風に混乱するオルタナシーンを横目に、ブッチ・ヴィグはサウンド・アティチュード双方における「オルタナティヴに対するオルタナティヴ」として、このGarbageというバンドを結成した。エレクトロサウンドに妖艶な女性ヴォーカルによるポップな楽曲は、ポップで何が悪い、商業的で何が悪い、自己模倣の何が悪い、自分達の確固たるスタイルを持っちゃいかんのか?、今やこんなバンド誰もやってないじゃないか、これこそ新たなオルタナティヴだろ? とでも言わんばかりのものであった。またこのスタイルは、シーンの混迷に今後数年先に巻き込まれる事を避ける為の予防策という側面もあったのだと思われる。

元々ブッチ・ヴィグは、スティーブ・アルビニと違ってコテコテのオルタナ主義者ではない。むしろどちらかと言うとポップ志向のプロデューサーである。前述の『Nevermind』や『Siamese Dream』も、オルタナティヴロックのアングラ性をなるべく損なわず、如何に大衆が受け止めやすいレベルまで昇華出来るか、というテーマの元プロデュースされている。後にJimmy Eat WorldGreen DayFoo Fightersなどを手掛けている辺りも、結局彼の目指している音楽が「商業性と非商業性の共存」という所であるからだ。それ故、Garbageがここまでポップに振ってきたという事実は、ブッチの理想像に忠実に接近していった結果であり、またGarbageが「オルタナティヴに対するオルタナティヴ」を体現し得たのもある意味必然とも言えた。

 

Garbageはデビュー時の音楽性を、以降多少マイナーチェンジしながらも基本的には変えず、その代わりに作品を出す毎にそのクオリティをよりブラッシュアップしていく方法論を取っている為、新規ファンにも既存ファンにも優しいバンドであり、レーベルとしても音楽性の変化が少ない分マーケティングも容易であった。90年代終盤で、世間が難解化していくオルタナに飽きてより分かりやすいニューメタルやポップパンクに走る中で、そういった層もちゃんと取りこぼさずに捕まえていった為、セールスも安定していた。

この「敢えて音楽性を変えない」スタイルにより、自分達のカラーはキープしつつ、より洗練させる事で、元々持っていた唯一無二の個性をより強烈なものへと変化させていき、その方法論の一つの到達点としての作品が、この4thアルバム『Bleed Like Me』である。

元々やってる事の基本は今までと何ら変わらないが、楽曲のキャッチーさ、及びサウンドの奥深さ双方においてより進化・深化を遂げ、リスナーにとってより飲み込みやすくなっている。それでいて初期のアクの強さは一切薄れていない。爽快なポップチューン「Run Baby Run」も、ダークなダンスナンバー「Metal Heart」なども、全てがクッキリなGarbage印。これまで聴いてきた人でも安心してとっ付き易い(逆に言えば新鮮味には多少欠けるけど)し、よりクッキリした音像と相まって元々あった中毒性も更に高まっている。

 

だが作品のクオリティの高さに対し、この頃バンド内は混乱していた。楽曲制作とその改良、リリースとツアーなどプロモーション、というサイクルを早い段階で作り上げたGarbageだったが、システムをずっと動かしっ放しでは当然ガタも来る。自転車だって定期的にオイル差してやんないとスムーズに漕げなくなってくるし。10年間休みなく、ブッチに至ってはプロデューサー業との二足の草鞋でやりながらもここまで続けてきたので、メンバーの疲弊も強まっていた。事実、本作のレコーディング中にシャーリー・マンソンが声帯を壊すという事件も発生している。コレをきっかけとしたのかしてないのか、元々疲れが溜まっていたメンバー間に徐々に緊張感が走るようになり、作業は遅々として進まなかった。何とか完成してリリースされるも、ツアーは一部日程がキャンセルされ、以降バンドは活動休止状態に突入する事となる。以降ベスト盤用にシングルを書き下ろしたりなど散発的な活動はあったが、本格的な活動再開は2012年まで待たなければならなかった。