A Confession of a ROCK DRUMMER

KenKenという太鼓叩きの独り言。

【好きなアルバムについて語る】サカナクション - 834.194

 

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2019年リリース、サカナクションの通算7枚目のオリジナルアルバム。読み方は「はちさんよん、いちきゅうよん」であるが、後にその数字から「ヤミヨイクヨ(=闇夜行くよ)」という呼ばれ方もされているとか。

前作『sakanaction』(2013)から約6年ぶりの新作となる。この間にも国民的ヒットシングルとなった「新宝島」のリリースや、これまでの総決算的ベストアルバム『魚図鑑』(2018)が発売されたなどはあったが、オリジナルアルバムのリリース間隔が6年にも及ぶというのは近年の日本のメジャーシーン、特に彼らクラスのバンドにしては非常に珍しい。大体が長くても2〜3年とかだもんなぁ。

サカナクションというバンド自体は知っていたけど、曲の方はリアルタイムでシングル「アルクアラウンド」のPVを見ていた程度にしか知らなかった。今思うと何故今更彼等の音楽をちゃんと聴こうと思ったのか、そのきっかけが思い出せないのだけれど、まぁ多分「新宝島」の影響だろうなぁ、あれめっちゃ良い曲だもん。

 

前述の通り、本作は6年のブランクを経てリリースされているが、その間もシングル・マキシシングルは絶え間なくリリースを続けており、更に2018年にはベストアルバム『魚図鑑』もリリースされている。また本作はこれまでのVictor Entertainmentから、傘下内に立ち上げた自主レーベル「NF Records」からの初のアルバムとなっており、内容としては前作以降のシングル(一部はベスト盤にも収録された)を一通り網羅した上で新曲を交えたものとなっており、前述の「新宝島」も収録されている。

ただ、6年間の間にシングルとして世に出た曲(カップリング含め)の多くが収録された結果、それらがアルバムの半分近くを占めてしまう状態であり、2枚組というボリュームにも関わらず「新譜なのに新譜感があんまない」という感想はちょっと抱いてしまう。ちなみにAmazonのレビューでの低評価コメントの内容は大体これ。まぁ気持ちは分かるよ、何となく。

 

元はと言えば、山口一郎氏(Vo.Gt)と岩寺基晴氏(Gt.)の2人が地元北海道で結成した「ダッチマン」というバンドが解体・再編成される過程で生まれたユニットとしてスタートしたのが、このサカナクションである。当時は山口氏がDJをし、岩寺氏がそれに合わせてギターを即興で弾く…という(悪い言い方をすればいかにも売れなさそうな)スタイルであったそうだ。だが両名ともテクノなどの電子音楽に造詣が深く、それがバンド形態になった際のバンドサウンドと電子音のバランス感覚に生かされている。その後デュオでのスタイルでは早々に限界を迎えたのか、地元のバンド仲間を集めて現在のメンバーでのバンド形態へ発展、その後地元の大型フェスへの出演を果たし、それをきっかけに一気にメジャーデビューへの階段を駆け上がっていった…というのが、すごく雑に纏めたバンドのスタートのお話。

ちょっとポストロック臭も匂わせる所謂「下北型邦ギターロック」に、テクノなどの電子音をチャラくなり過ぎない絶妙なバランス感覚で取り入れ、それにちょっと懐かしさも感じさせるメロディーラインを乗せ、インディー的密室感をギリギリ超えない範疇の中でより多くの大衆性を掴んでいく、というアプローチで現在のサカナクションのスタイルが形作られていった。後に邦ロックシーンで爆発的に流行する4つ打ちビートも、かなり流行初期段階で取り入れていたような気がする。オリジネイターが誰かは今や分からないけど、流行らせたのはまぁ間違いなく凛として時雨だろうな。

 

本作『834.194』リリース前後、山口氏は「作為的なものと、そうでないもの」という趣旨の言葉を様々な媒体で発言していた。噛み砕かずに言えば「売れ線か、そうでないか」という事で、要するに「周囲が求める"サカナクション像"」と、「自分がアーティストとして作りたい"サカナクション像"」という2つの狭間で揺れ動き、その両立を目指す、或いは折衷地点を探していたのだと思われる。恐らく前作『sakanaction』の時点で同様の悩みは既に抱えていたのではないかと推察する。クラブミュージックやミニマルミュージックからの影響をより多面に押し出した内容の同作は、従来のサカナクションのパブリックイメージに加え、「より自身のルーツや本来のコンセプトへ回帰して、純粋にやりたい事をやりたい(山口氏は「自身のルーツはライブハウスよりクラブである」といった発言も多い)」という志向を少しでも多く取り入れようという試みも感じられた。需要と供給の間で揺れ動くというのは恐らくどのバンドも直面する問題だとは思うが、彼等もまたそういった過去の例外に漏れず悩んでいたのだろうな、というのは『834.194』に収録されたシングルからも推察出来る。前作以降にリリースされ、本作『834.194』にも収録されたシングル群の楽曲は、今まとめて聴いてみると、自身のルーツでもあるアンダーグラウンド志向と、これまでの作品群で出来上がったパブリックイメージの間を広い揺れ幅で動いている。

ただこの、所謂売れ線タイアップ曲と純粋にやりたいように作った楽曲を半々に混在させて完成したアルバム『sakanaction』、バンド史上初のオリコン1位、売上枚数20万枚、更にツアーの総動員8万人超えと、要するにバカ売れしてしまう。更にはその年の紅白歌合戦にも出場決定と、「人気バンド」から「国民的バンド」へのランクアップを一気に果たしてしまう。予想外の展開である。まぁ売れる事は確かに良い事なんだけど、元々は今までいたファンに「僕達こういう一面もあるんですよ」っていうのをプレゼンしたかっただけなのに、結果より多くの新規ファンまで獲得、より高い注目も浴びるようになってしまう。

「いやいやいやいやちょっと待ってこれはマズいよ、いやマズいわけじゃ無いんだけどさ、売れるのは嬉しいんだけどさ、ただほら、その…」

みたいな事をメンバーが言ったかどうかは知らないけれど、それに近い心境だったんじゃないかと思われる。

売上や注目度の急激な上昇は必ずしもアーティストに良い影響を及ぼすとは限らない、というのは歴史が証明しており、極端な話過去に多くの犠牲者を生み出す要因となっている。マスからの注目やレーベルからの期待の増加に比例して、プレッシャーも大きくなっていく。そうするとみんな余裕が無くなってきて、何気ない瞬間でもなんかピリピリしてくる。今まで何とも思わなかった楽屋の沈黙がやけに重い…後に山口氏も発言しているが、紅白の頃になるとバンド内の空気は非常に悪いものになっていたという。段々と曲作り作業にも悪影響を及ぼしかねない所まで行き、この状況に危機感を覚えたサカナクションは、やっと掴んだ成功を全て手放す覚悟で、レーベルからの反対も押し切って非常に内政的なシングル「グッドバイ / ユリイカ」を世に出す。ミドル・スローテンポで、尚且つ今まで以上に密室感の強いダークな質感の同2曲は、これまでのサカナクションのイメージ及び「シングルリリースに耐えうる(=売れる)曲」という範疇からも大幅に逸脱していた。かつてNirvanaが『In Utero』(1993)で、またRadioheadが『Kid A』(2000)でやろうとした事(「商業的自殺」ともいう)を、サカナクションはこのシングル1枚でやろうとしたのだった。彼等はこのリリースを「マスからのドロップアウト」と称していたが、それは自分達自身を、そして自分達のアイデンティティを守る為の、必要な選択だった。

 

その後も内外共に混迷を極めていたバンドは、当時映画『バクマン。』の劇伴と主題歌の制作が思ったより進まない事や、草刈愛美氏(Ba.)の妊娠出産なども重なった事から、ライブ活動を休止することになる。その後バンドは前述の「マスからのドロップアウト」というコンセプトに加え「マジョリティの中のマイノリティ」という立ち位置の確立の為に動くことになる。これについてインタビューなどで度々語られてはいるが、要するに「純粋にやりたい事をやれる土壌を作る」という事である。ライブを休止する事で一歩後ろに下がり、リラックスする事に成功したのか、その後の活動はよりノビノビと、かつ柔軟に行われていく。自らの理想郷を作り上げるべく、カルチャー複合型イベント「NF」を自主開催、更に自主レーベル「NF Records」の設立など、サカナクションはよりクリエイティヴな方向へ向かってアクティヴに進んでいく。そしてNF Records第一弾リリースとして、映画『バクマン。』主題歌「新宝島」を発表。これがブレイクスルーとなり、またこの曲で、「マジョリティの中のマイノリティ」という立ち位置をより明確化する事にも成功する。その後ベスト盤リリースを挟みつつ、既に手広く展開していたNFなどの様々な活動により説得力を持たせる為にも、改めてニューアルバムの制作に着手、マイペースにコツコツとアルバム制作は進み、発売延期が一度あったものの2019年6月19日にようやくニューアルバム『834.194』が世に出たのであった。

 

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タイトルの『834.194』という数字の意味は、サカナクションが北海道で活動していた時に利用していた「スタジオ・ビーポップ」と、現在利用している東京の「青葉台スタジオ」の直線距離(834.194km)が由来で、地元札幌と現在いる東京の物理的距離と、サカナクションを始めた時と現在の音楽的な景色の変化を例えている。

大まかに言うと、親しみやすい"サカナクションらしい"楽曲をDisc1に、より実験的・内省的な楽曲をDisc2に配置している。両ディスクの最後には、ダッチマン時代に作られた「セプテンバー」という楽曲が、アレンジ違いでそれぞれ収録されている。

キャッチーなシングル曲を中心に1曲1曲が際立ったDisc1と、内省的なカラーの曲達がお互い溶け合うような絶妙なコラージュを描くDisc2といった具合に、ハッキリとコントラストが分かれている。この方法はベスト盤『魚図鑑』でも実践されていたもの。2枚分を連続で通して聴くと、明るい前半からまるで斜陽の如く暗くなっていき、最後に再び夜明けが訪れるようなグラデーションを描いているのが分かる。

その夜明けの先にあったのは、自らの原点、音楽を始めた時の初期衝動であり、「セプテンバー -札幌 version-」の荒削りなアレンジが、そのメタファーとして表現されている。

 

…とは言うものの、Disc1、2共に新曲群なども含めて、音楽的に従来と何かが大きく変わったのか、と言われれば、ぶっちゃけそこまででもない。けれども「歌」や「言葉」への重きが前作とは違って聴こえる瞬間が多い。「忘れられないの」「マッチとピーナッツ」などで見せたシティポップへの目配せも、元来サカナクションのメロディラインの持つ「昭和歌謡っぽいちょっと懐かしい感じ」によりフォーカスを当てた結果出てきたものだと思われる。これについては、「グッドバイ」をリリースした時に山口氏が「純粋に歌を聴いて欲しかった」と語っており、こういったマインドの変化も後の曲作りに反映されているのではないかと推測。

まぁでも、結局のところ色々考えると、「グッドバイ」以降の山口氏の抱えていた悩みって、すごく雑に言うと「ちょっと考え過ぎた」だけだったのかもしれない。結果的にセールスは波があったとは言え及第点は余裕でクリアしてるし、現在では従来のサカナクションのフォーマットから外れた楽曲でもマスに訴えかける力は全く失われていないし、ファンも付いてきてくれている。今作の売上も、前作は上回れないながらも現時点で10万枚は超えている(最も、サブスクが前と今では普及度が全然違うので、正直CDの売上枚数ってアテにならない感はあるけれど)。ただ「好きな事やってもみんな付いてきてくれる」という手応えが欲しかった、それ故の活動の多角化だったんだろうし、その手応えが得られたっていう確信が本作制作時のメンバーの精神面にかなりポジティブな影響を与えているのは間違いないと思う。

 

最終的に1周回って戻ってきた感は若干あるが、マインド面では全然違う状態で作られる、よりフレッシュなサカナクションらしいアルバムとなった。

「色々ありまして、今これだけの事が出来ます」っていう暫定座標記録と、「これからとにかく好きな事ガンガンやっていきます」という今後への決意表明という2つの側面を持った作品が、この『834.194』である、っていうのが、このアルバムに対する自分の今の結論である。