A Confession of a ROCK DRUMMER

KenKenという太鼓叩きの独り言。

【好きなアルバムについて語る】Red Hot Chili Peppers - One Hot Minute

 

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高校時代の記憶の半分くらいはレッチリ聴いてた自分。このアルバムも一時期全曲脳内再生出来る位には聴き込んだ。

何かと言われる1枚だけど、この前久々に聴いて、そろそろこのアルバムについてちゃんと考えてみるのも良いかもしれないなぁと思い立った次第。

 

 

 

 

 

 

1995年リリース、Red Hot Chili Peppersの通算6枚目のアルバム。

前作『Blood Sugar Sex Magik』(1991)までは2年おきに必ずアルバムを出していたのだけれど、今作はいつもの倍の4年ものブランクを経てのリリースとなっている。

 

制作前の1992年に、前2作を支えたギタリストのジョン・フルシアンテがワールドツアーの真っ最中に突然の脱退(後に復帰)、色んなギタリストを取っ替え引っ換えしながらやっとこさ残りのツアー日程を乗り切る中で、正式な後任ギタリストとして旧知の仲であり、地元カリフォルニアの先輩バンドでもあったJane's Addictionの元ギタリスト、デイヴ・ナヴァロに白羽の矢が立つ。

当時のレッチリはBlood Sugar〜の大ヒットにより、オルタナシーンを飛び越えて当時のアメリカを代表する超売れっ子バンドへと変貌している一方、ナヴァロの方は1991年のJane's Addiction解散後に組んだ新バンドDeconstructionがアルバム1枚で呆気なく解散したりと、ジェーンズ以降の具体的な活動方針が見出せない時期を過ごしていた。その為、バンドの高い注目度に耐えうる経験やある程度のネームバリューを持ったギタリストを欲したレッチリサイドと、同じく高いネームバリューのある環境での新活動を望んだナヴァロサイドとの思惑が合致した故の加入、みたいな感じだったんじゃないかと推察してみる。片や飛ぶ鳥を落とす勢いのバンド、片やロラパルーザを創設しオルタナシーンを牽引した伝説的バンドのギタリスト、となれば対外へのアピールというかプロモーションというか、話題性もバッチリ。レッチリとしてもせっかく掴んだ全米での成功をフルシアンテの身勝手な脱退(殆どバックれに近かったらしい)で失うワケにはいかないっていう危機感もあっただろうし、旧知のナヴァロなら自分達のノリも掴んでくれるだろう…っていう期待感とか、まぁ色々あったんでしょう。

 

まぁそんなこんなで、デビュー以来初めて4年ものリリースのブランクが空いてしまったと。

ナヴァロの正式な加入は1993年だけれど、それまでも多くのギタリストを急場凌ぎで加入させては捨て、加入させては捨て…を繰り返しながらライブは1度も飛ばさずにこなして来たお陰もあってか、世間の注目度が下がる事も無く、加入後に出演したWoodstock '94での電球パフォーマンスのインパクトもあって、新体制レッチリへの関心はより高まっていた。

 

そんな中で制作された通算6作目『One Hot Minute』。

前作『Blood Sugar Sex Magik』で確立した、間を活かしたグルーヴ感や泥臭さを前面に出したサウンドメイキング(レッチリ節として後々も続いていくスタイルの基本形とも言える)は、ナヴァロの持ち込んだエッセンスにより大きく影を潜めた。

ギターの音がフェンダー系からPRSとかそっち系に変わった点と、Jane's Addiction時代からのナヴァロの持ち味であるヘヴィながらもコシの効いたプレイによりサウンドは激変。そんなナヴァロに触発されたフリーとチャドのリズム隊も負けじと弾きまくり叩きまくった結果、前作で志向したグルーヴィーなファンクネスはほぼ消え失せ、逆にとにかく音を鳴らしまくって隙間を埋め尽くすようなハードロック的スタイルに変化した。

前作までのレッチリが上裸で跳ね回りながら野外で演奏してるような雰囲気だったのに対し、今作では何やら悪趣味な服装にメイクアップで、薄暗い地下のライブハウスで爆音出してるイメージ。まさにM-1「Warped」のPVまんまなんだけど。

 

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曲作りのアプローチについては、ギター又はベースのリフを基にジャムって広げる…という方法はレッチリもジェーンズも基本的には同じだったので、フリーに負けじとナヴァロも自分の引き出しを全開にしている。M-1「Warped」やM-3「Deep Kick」、M-7「One Big Mob」などで聴かせる、ヘヴィなギターリフで押してからのクリーントーンやスローテンポで一気に落とす、という手法はまんまJane's Addictionのそれ。一方のフリーも負けじと、トレードマークでもある高速スラップやグルーヴィなベースフレーズなどを随所で発揮(M-2「Aeroplane」、M-5「Coffee Shop」など)、アルバムの至るところで、まるでケンカの如く互いに弾きまくるフリーとナヴァロの非常にスリリングなプレイを聴くことが出来る。

一方でM-4「My Friends」やM-9「Tearjerker」など、今まで作って来なかった王道バラードへの挑戦も見られる。アンソニーに関してはジョン復帰以降のボーカルスタイルの基本がここで出来上がっており、次作『Calfornication』(1999)以降のメロディアス路線へ繋がる要素を見せている。またこういったバラード曲で聴かせるナヴァロの泣きのギターなんかは、もしかしたら当時のジョンじゃ弾けなかったんじゃないかと思わせたりもする。

 

ちなみにコレ余談&個人的な印象なんだけど、レッチリって何かとメタラーから忌み嫌われてる感があるけど、そんな彼等にもこの『One Hot Minute』は評価が高かったりする。分かんないたまたま自分の周りにそういう人が多いだけなのかもしれないけど。

 

そんなこんなでガラッと印象を変えつつ生まれ変わったレッチリ。そんな彼等がドロップした本作は、セールス的には化物過ぎた前作を確かに下回ったし評論家からの反応も決して芳しくは無かったけど、それでもUSビルボード4位、売上枚数200万枚超えという好成績で発進、伝説の1997年第1回フジロックの嵐の中のライブだったりなど話題も事欠かず、再びグイグイな活動を続けていった…のだけれど、結局ナヴァロは本作のみの参加で1998年に脱退。レッチリと元ジェーンズの究極のコラボレーションは僅か5年、アルバム1枚で幕を下ろしてしまう。

結局その後にジョン・フルシアンテが復帰、翌1999年に『Calfornication』をリリース、これがBlood Sugar〜よりも売れてしまった結果、バンドは第二期黄金期に突入していくのであった…というのが、本作のあらまし。

 

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…と、ここまでは良かったんだけど、後にこのアルバム、「アレは無かった事にしたい」とメンバーが発言、更にジョン復帰後のライブでは収録曲が一切セットリストに入れられないという、バンド側直々の黒歴史認定を受けてしまう。

そんな状態故か、レッチリファンの間でも評価が分かれ(特に純真なジョン主義者からはかなり冷遇されているとか何とか)、好評価しているファンも何故か「あんま大きな声で言えないけど実は…」感を露骨に出した上でフェイバリットに挙げたりと、なんか腫れ物扱い。

そんな前評判ばかり広がるもんだから、アルバムの完成度の高さに対して正当な評価が下されていない、或いは評価されても「一見さんお断り」なアルバムとして扱われている。

実際自分もそうだった。聴いた順番はかなり後の方だったし。まぁ一聴した瞬間にこれまでの聴かず嫌いを全力で後悔したワケですが。

 

多分この露骨な黒歴史扱いについては、アンソニーやフリーだけじゃなくて復帰したジョンの意向も幾分かあったんじゃないかと思われる。実際2009年にジョンが再び脱退してジョシュ・クリングホッファーに交代してからは「Aeroplane」とかはたまにライブで演奏してたらしいし。そらそうだ、何で元カノから貰ったアクセサリー未だに付けてんのよ、みたいな感じだもんね。或いはみんな歳食って拘りも薄れたか?

 

普通に聴けば非常によく出来たアルバムだし、まぁナヴァロ加入の影響が色濃いとは言えレッチリらしさも一応あるし、またジョン復帰以降推し進められていくメロディアス路線のプロトタイプのような楽曲もあったりと、実はレッチリ史に於いてはすごく重要な1枚じゃないのかと今では思っているのだけれど、前述のような黒歴史認定など、どうしてこうも評価が低いのか、というのをちゃんと考えてみると、色々と思い当たるフシはある。

 

一番の理由は、元々Red Hot Chili Peppersというバンドがギタリストに求めるものに対して、ただ単純にナヴァロはそれに当て嵌まらなかった、という事だと思う。

彼等のギタリストとしてのベンチマークはジョンでなく、初代のヒレル・スロヴァクなんだろうけど、演奏力は勿論の事、スタジオで「せーのっ」でジャムった時のノリや引き出しの多さ、要するに即興演奏のノウハウというのをバンド側は重視していた。実際今日のライブでも即興パートは当たり前に出てくるしね。

そしてジャムって出てきた素材を纏める過程においても、そもそもビビッと来る素材をいくつ引き出せるかなどのインスピレーションだけでなく、「こういう風に来たら、ココでこうして、こうだよね」みたいなアイデアに於いてもメンバーと合致する、というのが、レッチリというバンドがギタリストに求める最大の要素だった。それは単に音楽的素養やテクニックで培われるものではなく、いち人間としてどこまで互いを理解し合えるか、という事。

初代ギタリストのヒレルはメンバー云々以前にアンソニーとフリーの唯一無二の親友だったし、ジョンは元々バンドのファンとしてその様子を間近で感じ取っていただろうから、加入後すぐに馴染んで実践出来ていたけど、ナヴァロに関してはまぁ界隈近いから顔見知り程度には仲良かっただろうけど、正直そこまでの信頼関係とかは無かっただろうし。それに音楽を組み立てるアプローチに関しても、リフからジャムって広げるっていう基本的な部分はレッチリもジェーンズも同じだったんだろうけど、そこからの広げ方や纏め方に関して大きな違いがあった可能性は高い。Jane's Addictionの2ndアルバム『Ritual de lo Habitual』(1990)や、後のナヴァロのソロ作『Trust No One』(2001)などを聴いてみると分かるけど、前者の後半部分に見られる大作志向などは、瞬間的閃きなどでは作る事の出来ない、より客観的な目線と高度な計算力が無ければ作れない仕上がりになっているし、後者のソロ作で見られるインダストリアル寄りな世界観は、恐らくそういった方法論、要するに曲全体を見渡し、どんな音がどれ位必要か考えた上で組み立てる、みたいなアプローチで制作されたんだろうなぁ、という仕上がりになっている。

全てが直感的なレッチリと、より熟考・計算するナヴァロ。どちらが良い・悪いとかじゃなくて、単純にやり方が違った。

あと人間的な属性のようなものも違ったんだろう。レッチリって遊戯王で言ったら地属性だけど、ナヴァロなんかコテコテの闇属性だし。

 

もう1つは、このアルバムが良くも悪くも「時代性」というものを色濃く反映し過ぎてしまっている点ではないかと思う。

Red Hot Chili Peppersというバンドは、オルタナシーン出身でありながら、その後シーンとは適度な距離感を保ったポジションにいた。デビュー直後こそFishboneやJane's Addictionなどのバンドと共に、オルタナシーンにおいてミクスチャー・ロック黎明期を支えていたが、ワーナー移籍と『Blood Sugar Sex Magik』の大ヒット以降、リスナーやファン層はオルタナ界隈を主としておきながら、当時問題視されていたファンからの過剰な期待やメディアからのハイプなどとは無縁の立ち位置を築き上げる事に成功する。その絶妙な位置は、後にコートニー・ラブ(Hole)から「あのポジションが羨ましかった」と言われるほどだった。

実際、『Blood Sugar Sex Magik』というアルバムを改めてちゃんと聴いてみると、当時のグランジオルタナ界隈のバンド(例えばNirvanaPearl Jamなど)が持つ空気感を微塵も感じさせない仕上がりになっている事に気付く。これはバンドに過剰に干渉しない、好きなようにやらせるリック・ルービンのプロデュース方針が成したワザでもあると思うが、結果的に「Give It Away」や「Under The Bridge」などの曲は未だにライブでのアンセムとして演奏されているし、アルバム自体もバンドの代表作として新旧多くのファンに愛されている。また日本国内においては未だに「ロックとラップ、と言えばレッチリ」みたいな認知をされ、ミクスチャーロックの名盤として今日まで紹介されている。

その一方で本作『One Hot Minute』はどうだろう。ナヴァロがもたらしたであろうこのダークな空気感はまさに90年代そのものである。本作を作っていた1994〜1995年という時期のアメリカでは、94年にカート・コバーン(Nirvana)がこの世を去り、次期シーンのリーダー覇権争いのような事が起きていた。オルタナ界隈からはPearl JamNine Inch NailsAlice In Chainsらが安定して君臨する中それに加えてSoundgardenSmashing Pumpkinsらが参戦、シーンの外からはGreen DayWeezerなどのポップパンク、パワーポップが急速に伸び始めていたり、その裏でKornが密かに胎動を始めたり…など、とにかく混沌としていた。こうやって字面に起こしただけでもゴチャゴチャしてるもん。あぁややこし。

カート・コバーンは元々レッチリメンバーとは親交があったし、それに加えて同じくメンバーの友人だった俳優のリヴァー・フェニックスの死(1993年)なども、本作に大きく影を落とした(M-13「Transcending」はリヴァーに、M-9「Tearjerker」はカートに、それぞれ捧げられている)。他にもこの頃アンソニーが再びドラッグにハマり出しちゃったりなどの要因もあるけれど、そういった影が、ある意味90年代ド真ん中でその空気感に染まり切っていたデイヴ・ナヴァロという男を招聘した事によって、結果的に「時代性」という形でサウンドに大きく反映されてしまった格好となった。やっと誰の目も時代の流れも気にならずに好きな事が出来る立ち位置に来てたのに、時代のド真ん中に戻っちゃったじゃないか。どうすんだよこれ。

レッチリディスコグラフィーを順に並べた時、本作だけ異様な浮き方をしているのは、単にナヴァロのせいだけではなく、そういう理由もあるのだと思う。そして外部からの影響を受け過ぎてアルバムをこういった方向に持っていってしまった事、大袈裟に言えばバンドのアイデンティティを危機に晒してしまった事への反省が、1998年のナヴァロ解雇(最終的な決め手はドラッグだったらしいけど。後述)とジョン再招聘の一因となったのではないか、と何となく推測してみる。

 

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そんなこんなで「本当にこれで良いのか?」となったアンソニー・フリー・チャドの3名。その頃辞めていったジョンがクリーンになって再びメンバーと連絡を取るようになってたりとか、反対にナヴァロはドラッグ依存が悪化していったりなんて要因も重なり、前述のナヴァロ脱退とジョン復帰となった。

 

ジョンが再びバンドに戻ってからというものの、レッチリは従来のファンク路線も踏襲しつつ、よりメロディアスな「大人なロック」を志向していく。それはバンドを離れていた間に壮絶なドラッグ依存とその治療を経験したジョンだけでなく、アンソニーやフリーもこの『One Hot Minute』で変なヒートアップのしかたをしちゃったから、それが冷めた後にものすごい脱力感あったんじゃないかなぁと、なんとなく予想しながら、久々にこのアルバムを聴いた。